「賤ケ岳で利家の敵前逃亡はなかった」「お市の方の結婚相手は勝家ではなく家康」…戦国時代の通説を見事に覆した直木賞作家の野心作!
父が叩き上げ社長なら息子は最初から本社社長室勤務!?
――前田利家については、これまで司馬遼太郎さんの『功名が辻』や、大河ドラマ『利家とまつ~加賀百万石物語』など、正妻・まつとの関係を描いた先行作品があります。安部さんが父・利家と息子・利長という父子を物語の軸にした理由は? 安部 戦場で「槍の又左」と名を轟かせた利家は、すごい人間味のあふれたスポーツマンタイプで、野球で言うならきっと4番バッターを任され、フリーエージェントになったら、何億ももらって移籍するような武将だったと思います。ずっと信長に対して忠誠心を尽くした一途な律儀さがあり、確かに、妻のおまつには生涯、頭が上がらなかった(笑)。 ただ調べていくと、息子の利長は非常に優秀なんですよ。いわば利家が叩き上げで中堅企業ぐらいの社長になったとしたら、もう利長は最初から本社の社長室勤務で……要するに信長の近習として取り立てられて、先進的な信長の考え方をよく聞かされていた。そして同時期に仕えた蒲生氏郷や堀秀政ら優秀な若手と、大局観を踏まえた議論をしていたはずで、そこが面白いと感じました。 今までは戦国時代の親子の描き方を見れば、どちらかというと利長は父である利家に従属するものだ、という考え方もあったと思います。それもまったく違っていて、前田家が信長、秀吉、家康と権力者が移り変わっても、明治まで大大名として生き残れた理由は、利長が豊臣家支援の方針を覆したからなのが明らかです。あのまま利家の方針に引きずられて豊臣家に味方していたら、おそらく前田家は宇喜多家のように潰れていたはずです。
能登半島の皆さんを勇気づけたい……
――晩年、利家は後を継ぐ利長に対して、「お前は自分の信じた道を行くがいい」という、印象的な言葉をかけます。 安部 それは利家が利長の可能性を認めた瞬間じゃないでしょうか。利長の初陣の頃は、「俺に従ってないと、お前は明日にも討ち死にしてしまうぞ」といった感じで、明日でも生きるか死ぬかという時代ですからね。だけど利長が好きなように、自分の信じた道を進んでも、前田家を託せるというのはいちばんの評価ですよね。 『等伯』を書いていたころから、舞台になっている能登半島や石川県、富山県の人情や人のあり方には、ずっとシンパシーを感じてきましたが、やはり北陸の風土に育てられた気質というものもそこにはあると思います。厳しい自然環境で生きていかなくてはいけないし、利家と利長の時代にも、能登は大地震に見舞われ、とても大きな被害を受けています。それでも誠実に、諦めずに努力を続ける――ずっと粘り強く自分の道を切り拓いていく彼らの姿は、読者の皆さんをきっと勇気づけてくれるはずです。 実は、2025年の元日から「北國新聞」で、本作の続きである「みやびの楯」編の連載がはじまります。地震や大雨の被害にあった能登半島を励ますためにもと打診され、お引き受けすることになりました。「みやびの楯」編では、関ヶ原の戦いに遭遇する利長、そして大坂の陣に遭遇する三代目の利常が主人公です。こちらにも是非、ご注目をいただけたら嬉しいです。 INFORMATION ※安部龍太郎さんの最新長編『銀嶺のかなた』の刊行を記念したサイン会は、12月15日(日)に作品の舞台となった金沢、富山の2か所で開催されます。 詳しくは⇒ https://books.bunshun.jp/articles/-/9472
安部 龍太郎/文藝出版局