「ナースのお仕事」のおかげで病院に行ってもよくしてもらえる――観月ありさが振り返る30年
視聴率データが細かく公表されるようになり、作品は数字とネットのコメントで評価される時代に入っていた。 「21年目、22年目って自分でもカウントしながら、視聴率についてもやたらと言われるようになったので、だんだんアスリートみたいな気持ちになってきて。『やるからには結果を残さなきゃいけないんだ!』みたいに、まさに数字と闘っていましたね。プロデューサーさんからも、『数字が思ったより伸びなくてすみません』とか言われて。でも、私はいつも自信を持っておすすめできる作品だと思って演じているわけで。ドラマの視聴率は作品そのものの力だけでは取れないし、一人で頑張ったところで取れるものでもないですしね。今思えばあんなに気張らなくてもよかったのかな(笑)」
10代のころの自分は一人で闘っていて愛おしい
昨年は、デビュー30周年。モデル時代を含めれば、芸歴は40年を超える。モデル、歌手、俳優。観月はずっと「三足のわらじ」を履いてきた。どれかに絞り込もうと思ったことは、ない。
「モデルは、それこそ物心ついたころからやってますから、安定して、自然にできる仕事かな。そこへいくと音楽は、“好きな仕事”。レコーディングの時期は、『今の自分とは、好きなモノとはなんだろう?』とか、自分探しを始めるんですよ。過去の自分の歌を聴いたり、映像を見てみたり、新鮮な気持ちがよみがえる。だからずっと、歌い続けたいという思いを持ってやってきました」 尾崎亜美が作詞・作曲をした『伝説の少女』でのデビューは鮮烈だった。現在の本人から見ても、あのころの自分はやはり「伝説の少女」かと聞くと、観月は爆笑した。 「いやいや! もうね、当時は、『自分で伝説の少女って言うかな~』とツッコミながら歌ってました。でもね、今、あのころの映像を見ると、『10代の子が一人で闘ってる、すごいぞ』って、なんだか愛おしくなるんですよね」
SNSがなかったから、一般人の友達も多かった
「われながらよくぞ30年も続けてきたな、というのが今の心境です。あっという間だったような、長かったような。……やめたいと思ったことですか? 何度もありますよ(笑)。『本当に向いてないな、もう今度こそやめよう』と思うときにかぎって、長く演じる作品に出会ったりして、また続けちゃう。この繰り返しでした」 デビューしたころは、まさに思春期の真っただ中。アイドルのように扱われ、「かわいく笑って」などのリクエストに反発心を抱いたこともあった。 「デビューは14歳ですけど、ずっとモデル業を続けてきたわけだから、もう10年目くらいの気分で。『う~ん、私はアイドルって感じじゃないんだけどな……』って。大人びた精神年齢と、世の中から求められる10代のアイドル像とのギャップはあったと思う。10代、20代というのは、葛藤に苦しんだ時期ですね。でも……今振り返ってみると、すごく自由だったような気もするんです」