紅白と旧ジャニーズの「異常な蜜月時代」がついに終了か…目黒蓮「意味深コメント」の真意が見えてきた
2000年代――SMAPとTOKIOの二強時代だった
もうひとつ時代をさかのぼり、2000年代の旧ジャニーズの出場組数を振り返ってみましょう。 2000年は白組28組中2組。 2001年は白組27組中1組。 2002年は白組27組中2組。 2003年は白組31組中2組。 2004年は白組28組中1組。 2005年は白組30組中2組。 2006年は白組27組中2組。 2007年は白組27組中2組。 2008年は白組27組中2組。 2009年は白組25組中4組。 2010年代に入る直前だった2009年こそ4組出場しているものの、それ以外は2組か1組の出場にとどまっています。 2000年代はSMAPとTOKIOの二強時代。 TOKIOは2000年代の10回すべてに出場しており、SMAPは10回中8回出場。さらに2003年にはSMAPが旧ジャニ勢で初の大トリアーティストに大抜擢され、SMAPのリーダーだった中居正広さんが、2006年から2009年の4年連続で司会に抜擢されてもいました。 2010年代以降に比べると意外と少ないと思うでしょうが、そもそもひとつの芸能事務所からの出演組数として考えれば、適正だったように感じます。 NHK内でジャニーズに依存しすぎるのはいけないという倫理観がありストッパーになっていたのか、それとも『紅白』に出場できるレベルのアーティストがSMAPとTOKIOだけだったのかは定かではありませんが、その均衡状態が崩れたのが2009年だったわけです。 2009年は嵐が初出場した年で、ほかにはSMAP、TOKIO、NYC boysが出場。この年以降、2022年まで最低でも4組、最高で7組が出場していたので、『紅白』と旧ジャニの“べたべたラブラブ期”と言っても過言ではないでしょう。 余談ですが1986年は田原俊彦さん、近藤真彦さん、シブがき隊、少年隊の4組、1988年は近藤真彦さん、少年隊、光GENJI、男闘呼組の4組が出場するという年はありました。けれど基本的に1980年代から1990年代は、旧ジャニ勢から2、3組出場するのが通例となっていたので、やはり2009年以降のべたべたラブラブっぷりは際立っているのです。