【南 果歩さん・60歳】乳がん、うつ病、離婚を経て…「40代こそ人生のスタートだった」|美ST
深い谷を知ったから高い山に登れています
52歳になって、初めて人間ドックを受けたとき、ステージ1の乳がんが見つかりました。誰もがそうだと思いますが、健康に関しては大丈夫と過信しているところが私にもあって、がんを告げられたときは、ドラマの台詞のように「まさか、私が」と心の中で呟いていました。と同時に、その瞬間、命と健康以上に大切なものはないと身に沁みました。 術後は再発防止の標準治療として、ホルモン療法による薬の服用と放射線治療、抗がん剤の投与が始まりました。ところが、抗がん剤が体に合わなくて、倦怠感、足の痺れなどがひどく、ベッドから起き上がれない状態が長く続きました。必要な治療なので悩みましたが、セカンドオピニオンを受けたい先生に巡り合い、診ていただくことに。その先生の見立てによると、「僕は必要ないと思います」と。それを踏まえて主治医と相談し、標準治療を一旦離れ、食事や規則正しい生活で体力を取り戻すことにしたのです。 その頃、映画にもなった『わたしに会うまでの1600キロ』という1冊の本に出合いました。辛い出来事が続いた主人公が、1600キロをひとりで歩きながら、自分を見つめ直す。まさに私そのもので、読んでいるうちに心身ともにラクになっていきました。ところがその翌年、元夫の問題を報道で知ることになりました。それからはどう過ごしたかも覚えてないくらい記憶になくて。気づいたら重度のうつ病になっていました。まるですべてが止まり、暗いトンネルにいるような時間のなか、当時息子が大学に通っていたサンフランシスコへ。東京を離れての転地療法を試みました。 うつ病の薬も全部捨て、サンフランシスコの友人宅にお世話になることにしたのです。不眠症が続いていたので、規則正しい生活をするために無理矢理にでも起きて語学学校に通い、習い事やヨガをして、友人のために夕食を作る毎日でした。そんな何気ない生活を送ることが私には良かった。 でも、突然良くなることはなく、薄紙をはぐように、少しずつ回復し、冷静に事態を見つめることができるようになっていきました。結婚生活をどうするか、熟慮に熟慮を重ね、答えを出すまでに相当時間を費やしました。今までの夫婦関係を見直し、私がやってあげられることは全部やったと思えたんです。 もう一度やり直す糸口は見つからなかったですね。それは自分を裏切ること。自分に噓をついて生きることほど辛いことはありません。病気の後だったからよりそう思えたのだと思います。そして、54歳で離婚しました。渦中にいるときは、自分が置かれた状況に気持ちが向き合えていなかったし、整理もできてなかった。でも、今振り返ると、あの経験があったから、今の喜びにつながっていると思います。深い谷を知ったから、高い山に登れているという感じですね。