優しかった5代目、本当に怖かった6代目 来年2月に7代目・円楽襲名の三遊亭王楽「さらに大きい名前にしたい」
落語家の三遊亭王楽(46)が来年2月に7代目三遊亭円楽を襲名する。師匠である5代目円楽さん(09年死去、享年76)、兄弟子の6代目円楽さん(22年死去、享年72)にたくさんの教えや叱咤(しった)、薫陶を受けて切磋琢磨(せっさたくま)を続けてきた。伝統ある名跡のバトンを受け継ぐにあたって、ふと思い出すのは父の三遊亭好楽(78)からかけられたある言葉だという。(宮路 美穂) 襲名発表から約ひと月。「たくさんお祝いの言葉をいただいて、返信するのに3日かかりましたね。自分のキャパを超えるような仕事も増えてきまして…」と名を継ぐ実感が日ごとに増してきている。 話を受けたのは昨年の暮れ。6代目の夫人が父・好楽を自宅に招き「うちの人は王楽さんに名前をあげたいって言っていたから、彼がよかったら」と伝えられたという。「遺言とはいえど、文書に残しているわけでもない。それなのに6代目のおかみさんはよくぞ譲ってくれたなと思います」 最初は「荷が重い」と思った。それでも引き受けた。「5代目も6代目も、幼い子どもとかは別として、国民で顔を知らない人がいない、ちょっと異常な名前ですよね。この時代に限っては、落語界でおそらく一番(知名度の)大きい名前ですが、それは師匠(5代目)と6代目が大きくしてくれたからこそ。でも、あっという間に人間って忘れてしまうでしょう? 5代目、6代目を風化させたくないという思いもありました」 好楽の長男として生を受けたが、もともと落語に興味があったわけではない。「子どものころはおとなしくて、自分は勉強も運動もできないのに、父親がテレビに出てることが嫌でしょうがなかった。『笑点』のあの音楽が嫌でした」。落語はずっと“食わず嫌い”だったが、大学在学中に試しに聞いてみたところ、どっぷりとのめり込んだ。 「大学卒業間近、リビングで新聞を読んでいた父親に『すみません。落語家になりたいんです』。すごく恥ずかしかった。でも父親は『いいよ。(落語)協会でも芸協(落語芸術協会)でも立川流でも、お前が愛した人に行きなさい。遠慮することないからね』って」。実の父が存命にもかかわらず、他の噺家(はなしか)に入門するのはきわめて異例。それでも父は、息子の決断を尊重してくれた。 父の師匠でもある5代目の27番目、最後の弟子として入門。2か月で10席以上稽古をつけられるなど、授かった芸の心得はたくさんあるが、心構えの部分も多く教わった。「5代目は、この世界を背負って広めていくんだ、という覚悟がある人が好きでした」 落語をとっつきにくい伝統芸能として終わらせない覚悟。「落語家は、世の中にこんな面白いものはないと思ってみんなやっていますけど、自己満足で終わらないように、というのは意識していますね。寄席に行けば、前座さんがお茶を出して『お疲れさまです』と言ってくれる。でもテレビで勉強させてもらったりすると、自分がどこに立っているのか分からないぐらい緊張したりとか、打ち上げでも何していいか分からない。未知のところに身を投じて『自分はまだまだ』と思うことが大事だと思いました」 優しかった5代目とは対照的に、6代目にはとにかく叱られまくった。「本当に僕は褒められたことがないので…。最晩年まで本当に怖い存在でした」。具体的な噺家の固有名詞を出され「あいつの方が面白い」とダメ出しされたことも何度もある。一方で、円楽一門会の定期興行である「両国寄席」の顔付けを6代目から引き継ぐなど、プロデューサーとしての才能は買われていた。 「真打ちになる直前、一門の忘年会で師匠と2人で話す機会があって。『(春風亭)小朝や(立川)志の輔は4番打者だけど、俺は2番。俺がそういう動きをして、4番打者がどんどん、もっと落語を広げてくれるとうれしい』とおっしゃった。師匠が2番なら、うちの父親なんか補欠じゃねえかと思いますけど(笑い)。でも、しょっちゅう怒ってる僕に、それをよく言ったなあって。今でも思い出しますね」 東西、団体の垣根を越え、コミュニケーション力は落語界の若手では随一。「いろんなところに顔を出しますが、シンプルに人が好きなんでしょうね」。襲名が決まり、世話になった師匠方に内々の報告と披露興行への出演のお願いのために足を運ぶと、目をかけてくれていた笑福亭鶴瓶や志の輔は泣いて喜んでくれた。 「(立川)談春師匠は『収まるところに収まったじゃねえか。おまえ、面倒くさいところにも顔出してたもんな』と。師匠亡きあと、今の僕をつくってくれた小朝師匠は『あなたのために、たくさんの人が(披露目に)出てくれるでしょう。そこで終わるんじゃなく、二の矢、三の矢を考えておきなさい』って。ですのでコラボとか、普通じゃ考えられないような会の構想も練り始めています」 襲名というビッグイベントをきっかけに、人に恵まれ、人に背中を押され、今日の自分が存在するのだと改めて実感した。「僕がまだ二ツ目のとき、父親と2人で飲みながら『これだけかわいがってもらって、怒ってもらえて。どうやってお返しすればいいんでしょうかね』って聞くと、父親は『簡単だよ。売れりゃいいんだよ』って言ったんです。簡単ではないんですけど(笑い)。『この世界は、目をかけてきた子が売れてくれたことが一番うれしい。だから、お前はもう売れて、小朝や鶴瓶に並ぶしかない。それしか恩返しってないんだ』って。それがずっと響いている。あの人、たまに深いこと言うんですよ」 覚悟は決まった。「5代目、6代目があれだけ大きくした名前。それでも夢は大きく、さらに大きい名前にしたい。どういうふうに、というのはまだ未知数ですけど、それでも大きくしていきたいですね」。自分に負荷をかけ、何が何でも売れていくことが、最上級の報恩になると信じている。 ◆三遊亭 王楽(さんゆうてい・おうらく)本名・家入一夫。1977年11月7日、東京都練馬区生まれ。46歳。駒大文学部英米文学科を卒業後、2001年5月に5代目三遊亭円楽に入門。04年5月に二ツ目昇進。08年の「NHK新人演芸大賞」で落語部門大賞。09年10月、真打ち昇進。特技は日本舞踊とピアノ。YouTubeチャンネル「三遊亭王楽の落語部屋」も話題を呼んでいる。 ◆三遊亭王楽改め7代目三遊亭円楽襲名披露興行(東京・有楽町のよみうりホール) ▼2月26日 三遊亭好楽、桂文枝、春風亭昇太、立川志らく、三遊亭好太郎 ▼同27日 入船亭扇遊、立川晴の輔、三遊亭兼好、春風亭一之輔、柳亭小痴楽 ▼同28日 好楽、春風亭小朝、立川談春、桂宮治、三遊亭好一郎 ▼3月1日(昼) 林家木久扇、林家正蔵、柳家花緑、柳家三三、林家木久蔵 ▼同1日(夜) 好楽、笑福亭鶴瓶、瀧川鯉昇、林家たい平、三遊亭好の助 ▼同2日 三遊亭小遊三、柳亭市馬、立川志の輔、林家三平、三遊亭萬橘
報知新聞社