立浪和義はなぜ厳しい指導を貫けた? 本人が語る「原点」星野仙一、落合博満…冷徹と情熱の中日監督論「甘いだけで強くなるわけがない」
昨年まで2年連続最下位に終わった中日が今季、一転して好調だ。4月9日に2891日ぶりに首位を奪取、その座をキープしている。契約最終年の3年目にして花開いた立浪和義監督の指導哲学とは? 開幕前に指揮官を直撃した記者の著書『中日ドラゴンズが優勝できなくても愛される理由』(光文社新書)より、インタビュー内容を一部抜粋してお届けします。(全3回の第2回/初回はこちら)
立浪が見た監督・星野仙一
立浪は現役での22年間、ルーキーイヤーを含め、監督・星野仙一のもとで10年間プレーしている。 その星野も1986年オフ、ロッテから落合博満を獲得するために、当時のリリーフエースだった牛島和彦を含めた4選手とのトレードを断行した。またナゴヤ球場からナゴヤドーム(当時)に本拠地が移転したことで、その広さに対応するチーム作りのために、1997年オフに主砲・大豊泰昭、捕手・矢野燿大(あきひろ)を交換要員として、阪神から足と守備力に定評のあった関川浩一、久慈照嘉の2人を獲得、1999年の“ドーム初V”へと繋げている。 阪神監督時代も、4位に終わった就任1年目の2002年オフに自由契約、引退、トレードなどで24人の選手を入れ替えると、翌2003年にリーグ優勝を果たしている。 その「師」譲りともいえるドラスティックな“血の入れ替え”の象徴が、今回の中田翔獲得に表れていると言ってもいい。 「星野さんは、とにかく厳しかった。初めにやっぱり、いろいろな意味ですけど、厳しい指導者のもとでやらせてもらったのは、誰が監督をやっても、星野さんのもとでやっていれば、何も問題がないんじゃないですか。それくらい勝ちに対しての厳しさとか執念というものを、しっかり植えつけてもらいました。野球に取り組む姿勢もそうですし、勝負に対する貪欲さであったり、当時は毎日、ミーティングもあったりね。もう徹底して、意識づけというものを、知らず知らずのうちに植えつけてもらいました」 その「勝利への執念」を、中日に取り戻させたいのだ。