ファッションは多様を受け入れる「うつわ」がある【ファッション×障がい ファッション・フォームズ後編】
あれから約10年が経った。現在、国連が掲げる「SDGs」には人や国の不平等をなくすという目標があり、日本では2018年頃からダイバーシティを区市町村レベルで目標を掲げるようになった。東京オリンピックパラリンピックの開催で身障者のあらゆる表現や活動を尊重する機会が活発になり「社会は障がい者への理解が広がっている」とも解釈していた。
だが、それは私の「驕り」だったかもしれない。
「Fashion Forms.」を見に行き、出演者の一人が発した「僕らのことを知ってほしい」という一言が引っかかった。この言葉の中には「僕らは"生きている"」という主張が含まれている。私はこう言った当事者からのメッセージを何年聞いてきただろう。少なくとも身近では、私が幼い頃から当事者団体はずっと同じ主張を繰り返してきた。「生きていることは当たり前の権利である」という意味も込めたステラ・ヤングのメッセージ以降、社会は良くなってきていると認識していたのは間違いだったのか。2023年でも、この主張が出るということは日本の社会で障がいを持つ人の参加が少なく、当事者への理解や環境が変わっていないということだ。いろんな地域や企業が社会課題などを目標にし、障がいを持っている人でも社会参加を促すといった言葉を掲げていても、実際はそれを必要としている当事者まで届いていない。これはドキュメンタリーへの批判ではなく、社会の構造が変わっていないことへの憤り・悔しさである。
当事者の生活に潤いを与えるファッションの「うつわ」
健常者と障がい者が区別がされてしまう社会ならば、その穴埋めをするのがファッションの力である。ファッションの価値基準は曖昧なものだから、あらゆる人 が楽しめて、自分をアピールでき、美の価値観を多様に受け入れてくれる「うつわ」になる。かっこいい、可愛いという感覚が、今までの常識を覆すことができるのもファッションのちからの一つだ。