地震から1日も休まず... “復興スーパー”支える家族 見えぬ先行き…進学を諦めた孫【NNNドキュメント】
日テレNEWS NNN
石川県輪島市町野町で、町唯一のスーパーを長年、本谷さん一家は営んできました。しかし、元日の能登半島地震で店は1か月以上、水は出ず、電気も止まったまま。自宅も傾いたため、本谷さん家族は店内で寝泊まりしながら、元日から1日も休まず、営業を続けていました。 ▼家屋倒壊が増えた原因? 1年前の“震度6強”…損傷しても改修できず 背景に大工不足 「町野から離れた住人に戻って欲しい」。客足も遠のくなか、店を守り続ける一家の思いがありました。
■諦めた大学進学 経済的な負担を考え
スーパーの3代目・本谷一知さんの二男・悠樹さんは、震災がなければ、春から大学に進学する予定でした。しかし、スーパーの先行きが見えない中、経済的な負担を考え、大学への進学を諦めました。 高校の卒業式の日、悠樹さんは「よく頑張ったな、お前な」「厳しかったけどな。よく耐えたよ」と、何度も声をかけられていました。
■町の人と「一緒に生きていきたい」
町に暗い影を落とした能登半島地震。それでも、町に一軒しかない“家族で営むスーパー”は、元日から店を開け続けました。電気がこなくても、 店を訪ねてくれる人がいる限り──。 「もとやスーパー」の2代目・本谷一郎さん(75)が「みんなの役に立てれば、もうそれが幸せ」と話せば、妻の理知子さん(73)も「やっぱり町野の人の役に立ちたい。一緒に生きていきたい」といいます。
■元日の午後4時10分 止まった町の時計
本谷さん夫妻は、2000人ほどが暮らす町野町で唯一のスーパーを、長年切り盛りしてきました。 ただ、1月1日午後4時10分。あの地震で、すべてが変わってしまいました。町には、あの日から時間が止まってしまったかのような光景が広がっています。 そんな中、夫妻は店先にストーブを置いて、買い物客を迎えていました。 本谷理知子さん 「顔が見られるから、お客さんが安心して入ってくる」 「ここでワイワイやってる方が立ち寄りやすいと思います」
■1日約300人の買い物客 今では数人に
「酒ってある?」と、町の水道業者の男性が店を訪ねてきました。 「仕事して、電気もつかんから飲むくらいしか楽しみがない。メシ食って」と男性が話すと、「そうやね。だいぶ忙しいやろ」と、理知子さんは、会計をしながら応じます。 水道業者の男性 「直したと思ったら、また圧が強くなって他のところで噴いてきて…。その繰り返し」 1日に200~300人訪れていたお客さんは震災のあと激減し、いまでは1日数人に。10人の従業員も全員休職しました。