「きみ、あんまり働きなや」松下幸之助が、赤字を出した責任者に放った言葉の真意
一代で世界的企業を築き上げ、"経営の神様"と呼ばれた松下幸之助だが、成功の陰には数々の感動的なエピソードがあった――。「きみ、あんまり働きなや」「一人も解雇したらあかん」...。幸之助が従業員にかけた言葉の真意とは? 5つのエピソードを紹介する。 【写真】整列する社員に声を掛ける、1968年の松下幸之助(当時73歳) ※本稿は、PHP理念経営研究センター編著「松下幸之助 感動のエピソード集」(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
きみだったら必ずできる
昭和2(1927)年、松下電器が初めてアイロンの開発を手がけたときのことである。幸之助は若い技術者を呼んで言った。 「今、アイロンというものを二、三の会社がつくっているが、使ってみると非常に便利である。しかし、残念ながら価格が高く、せっかく便利なものなのに多くの人に使ってもらうことができない。そこで、わしは合理的な設計と量産によって、できるだけ安いアイロンをつくり、その恩恵にだれでもが浴せるようにしたい。 今、師範学校を出て、小学校に勤めた先生は給料が安く、たいてい2階借りをして暮らしているが、そのような人でも買える価格にするためには、今4円から5円しているのを3円くらいに下げなければならない。それを松下でぜひやり遂げたいのだがどうだろうか」 技術者は、幸之助の熱意に感激した。すかさず幸之助は命じた。 「きみひとつ、このアイロンの開発を、ぜひ担当してくれたまえ」 ところがその技術者は、金属加工の経験はあるけれども、アイロンなど電熱関係についてはまったく何も知らない素人である。当然辞退した。 「これは私一人ではとても無理です」 それに対する幸之助の言葉は、力強く誠意に満ちていた。 「いや、できるよ。きみだったら必ずできる」 そのひと言で青年の心は動いた。なんとかできるような気がしてきた。 「こういう意義のある仕事です。及ばずながら精いっぱいやらせていただきます」 幸之助が願ったとおりの低価格で、便利なナショナルスーパーアイロンができあがったのは、それからわずか3カ月後であった。