世界で最も謎に包まれたサッカーチーム、北朝鮮代表の実情は?
(CNN) 北朝鮮のサッカーのチーム事情は、第2次世界大戦の終結後に結成されて以来、極秘にされてきた。 【画像】安氏と韓氏ら北朝鮮の選手=2019年 世界中の何百万人もの人々が、過去に行われた2度のワールドカップ(W杯)で北朝鮮の男子チームを垣間見た。東アジアの神話に登場し、北朝鮮社会において重要な位置を占める伝説の翼を持つ馬、「千里馬(チョンリマ)」の愛称を持つ北朝鮮代表は、1966年に英ミドルスブラでイタリアを1―0で破るという見事なパフォーマンスを見せた。 だが、2010年に南アフリカで開催された大会では、ポルトガルに7―0で大敗するなど、3戦全敗の結果となった。 孤立する国家そのものと同様、北朝鮮のサッカーチームも近年は再び影を潜めている。今回、日本在住で元北朝鮮代表MFの安英学(アンヨンハ)氏(45)が、CNN Sportとの単独インタビューに応じ、北朝鮮代表としてプレーした経験について明らかにした。 北朝鮮代表チームの秘密主義は、スター選手のFW韓光成(ハングァンソン)氏(25)のケースでも明らかだった。 全盛期にはイタリアの強豪ユベントスの23歳以下(U23)チームで活躍した韓氏だが、その後3年以上も公の場から姿を消していた。最後に目撃されたのは20年で、直近の所属チーム、カタールのアル・ドゥハイルの選手らとともにトロフィーを掲げる姿だった。当時、国連安全保障理事会では、加盟国内の北朝鮮労働者を送還するよう求める対北朝鮮制裁決議が採択されていた。 イタリアとカタールのトップリーグでプレーした後、3年近く大使館に閉じ込められるという急激な運命の変化にもかかわらず、韓氏はサッカーをやめようとは思わなかった。 昨年11月、韓氏は突然、W杯予選で北朝鮮代表として再び公の場に姿を現し、6―1で勝利したミャンマー戦でヘディングシュートを決めた。 安氏は、韓氏が外交問題で身動きの取れない状況だったことを嘆いた。平壌を本拠地とする国内有数のクラブチーム「4・25体育団」に、韓氏がもっと成長できたはずの年齢で入団できなかったのは残念だと語った。 韓氏は中国の大使館に閉じ込められ、2~3年間ほど1人でトレーニングしなければならなかったという。安氏はCNN Sportとのインタビューの中で、昨年9月だったと思うが、韓氏は入国が許可されたと、北朝鮮当局者の話を引き合いに出した。また、大使館に滞在していたのは、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)の影響で、北朝鮮の国境が閉鎖されていたからだとも言い添えた。 北朝鮮のパスポートを持つ日本生まれの安氏は、北朝鮮代表として10年間ピッチに立った。韓氏は、安氏の代表選手としてのキャリアを目の当たりにできて良かったと安氏に語っていたという。 安氏は19年に平壌で韓氏と初めて会った日のことを振り返った。22年カタールW杯予選で韓氏が、英トッテナム・ホットスパーのスター選手、孫興民(ソンフンミン)がキャプテンを務める韓国と対戦するのを観戦した時のことだ。 その試合後、安氏が日本に帰国するために飛行機を待っていたところ、偶然にも韓氏と、当時オーストリアとイタリアでそれぞれプレーしていた他の北朝鮮選手2人、パク・クァンリョン氏とチェ・ソンヒョク氏に出会ったという。 その時のことについて、安氏によれば、韓氏は、安氏が代表チームでプレーしていた時にスタジアムで見ていたと語ったという。 そこで、韓氏と2人の北朝鮮選手たちに対し、これから頑張らないといけないと伝え、自身も彼らを応援するためにイタリアに行くと告げた。 韓氏からは、ぜひ来てください、迎えに行きますからと返答があった。 それから5年、パンデミックを経て、今年3月に2人は東京で再会した。 試合の翌日、安氏はチームが宿泊していたホテルを訪ね、韓氏に久しぶりと伝えた。 2人は前日の26年W杯予選で、北朝鮮が日本に1点差で敗れた試合について話した。 韓氏が放ったシュートはポストに当たり入らなかったので、どれほど(ゴールに)近かったのかについて言葉を交わした。 制裁措置のため、韓氏は現在、北朝鮮でプレーしていると語っていたという。また、深い話をする時間はあまりなかったと安氏は言い添えた。 安氏は、韓氏のことを「10年、20年に一度現れるような逸材」であり、「世界クラスの選手」になる可能性を秘めた人物だと評価した。 韓氏には北朝鮮代表のシンボルになってもらい、孫興民氏のような選手になってほしい、と安氏は願っている。