「仕事と育児とレストアで忙しいけど……」ハンドルを握れば元気になれるロータリー車にほれ込んだオーナー
飽くなきロータリーエンジンの世界。それはマツダの世界であり、良くも悪くもほかの選択肢はありえない。限られた車種の中からさらなるパワーアップを目指す方法はそれぞれだ。故郷のオーストラリアでマツダ・カペラロータリーに魅せられたオーナーが、移住先のアメリカでRX-2のレストアに情熱を注ぐ様子をお伝えしよう。 【画像12枚】ロータリーエンジンを示すRX-2のエンブレムがいかにも誇らしげである。小文字のように小さくデザインされた「x」が特徴的なのだ。このロゴは後の代のロータリー車に継がれていくのだが、なぜかRX-3のみは意匠が異なった 【1973年式 マツダ RX-2】 ロータリーエンジンの魅力はあせることがない。小型軽量で大パワーの体感、ル・マン総合優勝の興奮、歴史的技術への畏敬。西ドイツで発明された技術でありながらも、今でもすべての賞賛はマツダに捧げられる。ロータリー車とはマツダでなければならない。 その魅力にとりつかれた多くのファンの一人、トニー・レイズさんが体験を語った。 「オーストラリアにはカペラがたくさんありました。安い中古車だったから、だれもがそれにロータリーエンジンを積む改造をしていました。私がやっていたのは1998年ころのことです」 81年にオーストラリアのブリスベン市で生まれたレイズさんは、15年前にアメリカへ移住。10代の時にのめり込んだクルマの思い出を追うように、すぐに同じクルマを探し始めた。 「今所有しているRX-2のボディシェルは10年前に400ドルで手に入れた。機関系と足まわりはすでに持っていたのでちょうど都合がよかった」 ロータリー車の発売間もないころには、エンジン内で燃焼して減少したオイルを補充しないまま乗り続けた人たちがいた。そのうちにエンジンが焼き付き、結果的にボディだけ放り出された例が多かったと説明した。 「運転し始めたときは90年代のクルマが最初で、マツダ ファミリアとか三菱ギャランとかたくさん日本車に乗りました。今でも90年代のクルマは好きです。自由度があっていいし、そのうえ壊れにくい。昨今のクルマは全部コンピューターで制御されてしまっているから堅苦しく感じる」 通勤に使う新型車は便利だが、物足りないと訴えたレイズさん。それはクラシックカーファンの気持ちを代表する言葉のように響いた。 創業100周年を迎えたマツダ(旧社名・東洋工業)。その歴史の中で実はオーストラリアとは縁が深かった。 >>→立ち寄ったのは通りかかりのセブンティ・シックスのガソリンスタンド。レイズさんは「いつもはシェブロンでガソリンを入れるんだけど」と言い、この日は変則的だった様子。すぐ脇の「スティーブンス・クリーク大通り」には自動車ディーラー店が並んでいて「TOYOTA」、「MAZDA」の看板が遠方に見えた。 ロータリー車北米輸出の歴史。1970年にアメリカに販売拠点が設けられた 戦後復興期を振り返ればマツダの3輪貨物車が思い出される。創業40周年の60年、R360クーペを世に送り出すことで4輪乗用車へ進出した。63年に発売したバンには「ファミリア」の名を冠し、その車名を大切にしてきたことは、今日まさに同じ車名が残っていることに見て取れる。 4輪車の販路獲得に海外各地の販売会社との契約を増す中、コスモスポーツ発売の67年、海外自社拠点に選んだのが将来性を見込んだオーストラリアだった。時にトヨタや日産が北米市場に注力していた時代。オーストラリアはアジアとの経済関係に目を向け、ロータリー車の本格輸出先となった。 ロータリー車販売の勢いに合わせてアメリカに販売拠点を設けたのが70年。マツダは海外車名の明瞭化に努めてきたようで、ロータリー車の車名を追うと販売戦略が垣間見える。R100(ファミリア)とR130(ルーチェ)で駆動方式を見極めた後、ピストンエンジン車と同時発売されたのが初めてRX番号を受けたカペラ・ロータリーだった。 RX-3(サバンナ)は、ピストンエンジン車の名前を変えてグランドファミリアとした。RX-4(ルーチェ)ではピストンエンジン車の発売時期を遅らせた。RX-5(コスモ)はラグジュアリー路線だったがそれからしばらく時間があき、満を持してのRX-7の登場。ロータリー専用車両を示すごとく「サバンナ」の名を直接引き継いだ。ちなみに75年に発売されたロータリー車「ロードペーサー」の車体を提供したのはオーストラリアのホールデン社だった。 現行車種のデザイン統一感、ガソリンエンジンへの固持、ロータリーエンジン復活への期待と、マツダは北米市場でも常に注目される日本ブランドであり続けている。 自慢の愛車で公道へ乗り出すと、遠慮なく大胆にクルマを操るレイズさん。職業はポリスオフィサー。警察官である。自宅のあるカリフォルニア州サンタクララ市からフリーウェイ101号線を南へ向かったモーガンヒル市警が勤務先だ。移住して最初の4年間はメカニックとして働いていたという。 「ショップのボスが元警察官だったんです。だからお客さんには警察の人が多かった。ある時お客さんに『メカニックをやめて警察官になればいいのに』と言われて、そうかもしれないなと思ったのがきっかけでした」 サンノゼ市警のポリスアカデミーへ通い、2013年に警察官になった。 「悪くない仕事だと思っています。殺人事件なんかを取り扱わなければならないのは辛いことだけれど」 1日に12時間勤務し、その分長く取れる週末には家族やクルマと過ごす。 「先週末には市民デモがあって出勤命令がでました。デモ隊はフリーウェイへ入ってしまったのでフリーウェイを閉鎖する羽目になりました。荒々しい人たちがいるのも事実ですが、暴力沙汰にならないよう静かに誘導して全員を無事に帰宅させるのが役目です」 生あくびをしながら言ったレイズさんは、熱帯夜だった昨夜に1歳半の息子が寝付かなかった疲れもあったらしい。地域の安全を守りながら、終わることのないマツダのレストアに没頭し、3人の子育てに大立ち回りを演じる。心も体も休まることはなくとも、ひとたびRX-2のハンドルを握ればすぐに元気になるのだ。
Nosweb 編集部
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