バブル到来、日産イケイケ時代に生み出されたものとは? アフリカには何がある? その2【清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」 】
みんな大好き12気筒エンジン! でもその行方は?
清水:グループBで中央研究所がポルシェ959を買って研究していたんですよ。渡邉衡三さんも買ったので、日産は2台の959を持っていた。一台はGT-Rのネタになったんだけど。 高平:オレたちが話すると、どんどん脇に脇に入っていく! 清水:加藤博義(日産レジェンドテストドライバー)も連れてこようか! 清水:92年にバブルが崩壊して、日産がちょっと経営が苦しくなって、2000年にカルロス・ゴーンちゃんが来ちゃったっていう。 高平:その間、何年かありますけど、これだけ戦線が伸びていて、ちょっと景気が悪くなったからなんとかしようって言っても、そりゃ自動車会社はデカいからしんどいですよね。一方で、マツダはもうほぼもう崖っぷち、転落寸前だった。 清水:だって12気筒エンジンまで作っていたんだよ。 高平:みんなどうかしていましたよね! 12気筒エンジン作っていないメーカーはなかった。 清水:いすゞも三菱も作っていた。スバルはジオット・キャスピタ(JIOTTO CASPITA/ワコール+童夢+SUBARUのスーパーカー)があったでしょ、水平対向12気筒エンジンの。でもスバルはドラム缶に入れて封印したらしい。 高平:アレ、なぜカルロ・キティ博士(Carlo Chiti/イタリア/レーシングカー&エンジン設計者)ほどの人が、昔は凄いものをいっぱい作っていたのに「あんなもん回るはずない」って。ヒラメみたいなデカいクルマ。機械抵抗だけでまともに回らないでしょコレ!っていうくらい、そういう時代だったんですね。浮かれていたのかな。 清水:なんかまた話が横道にずれたよ!
ヘリテージコレクションが教えてくれるもの
高平:すぐ時間経っちゃう、まずいな。でも、この“ヘリテージ”ってなんか硬い感じがしますけど、これからを考えるのに、“日本のクルマはオークションで馬鹿みたいな値段がついている”っていうやつだけじゃなくて、結構頑張ったクルマとか、今見てもいいなとか、凄いことをやったんだなっていうのを知ってほしい。 清水:だからさ、ここ日産ヘリテージコレクションも、コッチのモータースポーツの車両がなくてコッチの量産車だけだったら、なんとも味気ないっていうかね、デザイン的には。 高平:確かに。でも好きなのもありますけどね。スカイラインはその昔のレースの栄光があったからこそ。でもコレ、今見るとかっこいいですよね。“ジャパン”ってなんだよ!って感じ。 清水:でもやっぱGC10じゃない? 高平:ボクが一番最初に友だちと買ったクルマ、GC10のデラックスって知ってます? 1500ってやつがあったんですよ。 清水:さっきサファリラリーの話をしたけど、オレはリアルに72年にGC10ハコスカに出合って、また人生が変わったクチだな。ラリーはハコスカじゃデカくてダメだったから、売ってランサーかなんか買った。で、TE27レビンにいった。でも、スカイラインと出合ったから、大学でクルマ好きがみんな寄ってきて、ラリーに連れて行かれた。スカイラインでは鋸山走ったり。TE27レビンで街道レースやったり!? 高平:昔はスカイラインでもちっちゃいハブでスタッドボルトは4本だし、これじゃあサファリラリーに持って行っても、ねぇ。 清水:北海道美瑛に行くとさオレ、ケンメリ・スカイラインのCMのポプラの木ってあるじゃない。あの辺行ったら必ず行くんだよね。 高平:スカイライン1500デラックス、あったあった! ちょっと鼻が短い。スカイラインのなかの、AE86じゃなくてAE85みたいな立ち位置。助手席のドアが外から開かないっていう凄い中古を友だちと買って、ふたりとも運転席側からしか乗れないっていう! 確か10万円だった。 清水:あ~こんなにノーズ(の長さ)違うんだ。オレはGC10ハコスカね。 ・・・・・・・・ クルマ大好きなオジサマふたりだと、ここ日産ヘリテージコレクションを見て回るといろんな話、思い出話についつい花が咲いてしまう! というところで、次回その3では、未来を考えつつ、希少金属を得るため、維持するためにはどうすればいいのか?などの話へと進みそうです。
清水和夫