バブル到来、日産イケイケ時代に生み出されたものとは? アフリカには何がある? その2【清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」 】
日産MID4は実は…な秘密?
高平:MID4なんかももう象徴的じゃないですか。80年代末の東京モーターショーなんて、もう絶対売れないだろ!?みたいなクルマばっかりみんなが競って作っていたっていう。このMID4は“II”でしょ。これは言っていいのかどうか、もう明らかなのかもしれないけど、これ、マグナ・シュタイア(オーストリア)で作ったんですよね。元ニスモで難波さんとかの下にいたラリーやっていた人(武井道男氏?)が突然その担当になり、「特殊車両のグループ長、オマエやれ!」って。「今年(1987年)の東京モーターショーまでに作れ! 走るヤツ作れ!! そうじゃないと絵に描いた餅だろ!って言う新聞屋がいるからよ。アイツらには追浜かどっかでガーンと乗せるんだ!」って。 清水:オレ、追浜でテストさせられたよ。要するにね、長谷見昌弘さんが「アンダーだからダメだ」って言ってNG出した。ホントにそうなのか?って、「じゃ清水さん乗って!」ってことで追浜で乗った。 高平:このMID4を作った人に聞いたら、夏休み中ずっとヨーロッパのマグナ・シュタイア行って、「なんとか作ってもらうように土下座してこい!」って上から言われて、 VGエンジンとセドリックのシャシーの一部を持っていって、これでなんとかしてくださいって。でもマグナ・シュタイアはあの頃、お金を積んで頼めば「わかった」って言ってくれるところだったと。四駆の技術をまともに持っていて、それをプロトタイプに作り上げる技術を持っていたのは、ヨーロッパにも3つくらいしかない。 清水:マグナ・シュタイアとファーガソン? でもファーガソンは技術だけ。 高平:作れるのは一部イタリアのカロッツェリアとレーシングチームがくっついているようなところとか。だから日産は この頃からマグナ・シュタイアとの関係があった。でもこういうのを突貫工事でこのレベルまで作り上げられたっていう、それもあの当時ならでは。 清水:いくら払ったかは知んないけど! 高平:多分ものすごいお金だと思います。でも払った価値はあった。したがって、これ(MID4-II)はGT-Rチーム(BNR32)がやっていたアテーサ(ATTESA)とは全然関係ないんですよね。