バブル到来、日産イケイケ時代に生み出されたものとは? アフリカには何がある? その2【清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」 】
なぜ世界はアフリカを目指したのか、アフリカには何があるのか
清水:なぜ日本人がみんなアフリカを目指したかっていうのは、日本は島国だから。私の感覚では、海から太陽が出て海に沈む姿しか見ていない。でも地平線に太陽が沈むっていうのはやっぱりアフリカじゃないと見られない。そこに憧れたんじゃないかな。 高平:「大陸で一旗揚げる」っていう。 清水:今、希少金属見れば全部アフリカ。コバルト、マンガン、ニッケル、アルミも石油も。アフリカの赤道挟んだあの辺、コンゴとか。 高平:赤道直下がそういうレアメタルの産出地。 清水:パリコレ見た? モデルさんのピアノブラックみたいな容姿がかっこいい。 高平:昔からヨーロッパで活躍するモデルさんで、ソマリア人はとにかく美人。東アフリカではソマリア、エチオピア。アフリカを東西南北で大きく分けると、南アフリカとその隣のナミビアというのは、昔から金とプラチナが出るんです。だからヨーロッパがとにかく植民地にして、戦争もあったし。今は赤道直下のコンゴとかタンザニア、モザンビークとかにレアメタルがある。
イケイケなバブル時代~バブル崩壊、そのとき日産は?
清水:これは生粋のDATSUNから来たスポーツカー、フェアレディSR311。オレがグループAレースで日産車に乗っていたのはR32時代。R31の時代にはオレはライバルのシエラに乗っていたからね。 高平:80年代からパルサーGTI-Rの90年代頭ぐらい、あの辺までバブルだからもうイケイケですよ、日本の自動車産業は。世界中の土地を買いまくっていたし。でも、その頃になると、日産はすごく早いうちに海外に工場を作って現地生産に乗り出した。だけど、日本のメーカーで一番最初に海外行ったのはホンダかな。その次にすぐ続いて日産が出て。でもトヨタはだいぶ遅れて出た。慎重っていうか、保守的だった。その頃から日産は、例えばアメリカではフェアレディZがめちゃめちゃ人気になっていたし、ヨーロッパでもちっちゃな小型車系が売れ始めていたし、現地工場もいっぱい作った。そして日産901活動に続くFFになったかっこいいオースターとか憶えていますね。ヨーロッパ風の5ドアハッチバックとか。だから日本車は本当に飛ぶ鳥を落とす勢いだった。それの尖兵が日産だった。 清水:あの頃、FFでマルチリンクができたのは、アウディはまだやっていなかったから、日産が先だった。 高平:日産が一番先で、物凄い評価が高かった。 清水:プリメーラはP11からUKに変わった。でもオレはJTCCではライバルのホンダだった。じゃ、“飛ぶ鳥を落とす勢い”だった日産はどこでつまずいたのか…? それが諸説あって、 やっぱりトヨタみたいに事業で儲けることが下手だったって言えば下手。オタク系なんだよね日産は。ま、ある意味ホンダもそうなんだけど。どこでつまずいたかって…ン~どうかね? 高平:厳しい言い方をすると、トヨタも2000年代に入ってからそうなったと思うんですけど、数を追って膨張していくところは中がスカスカになってくるっていうのはありますよね。日産は元々あんまりガバナンスっていうか、会社のきちっとした……まぁどこの会社もそうだったかもしれないですけど。 清水:これはね、ちょっと我々に何ヵ月か時間をください。要するに、組織なのか人なのか。それをトヨタと対比して考えていかないといけないので。人も影響しただろうし、やっぱり組織が違うかな日産は。日産のほうが官僚的だよね。 高平:あの頃はまだ芙蓉グループっていう重工産業、そのなかに組み込まれていたところがあって、銀行とか不動産とか。何よりも90年代半ばによく言われていた話ですけど、日産はステアリングホイールだけで50種類以上作っていたって言われていたじゃないですか。コストを管理するっていうのが、膨張の間にいつの間にかすっかり抜け落ちていたんですよ。エンジン、トランスミッションと、あらゆるそういうユニットが、物凄い種類になっていたんです。 清水:その辺はさ、渡邉衡三さんとか呼んできて一回、議論させたいよね。 高平:そうですね。イケイケどんどんでしょ! 清水:でも、渡邉さんたちのやり方だったら会社はやっぱり潰れるよね。あんまり収益を考えてない。 高平:でも、そのおかげで評価を得たことは間違いないですよね。ただ、やっぱり今考えてみると、このクラス(プリメーラ)にフロント・マルチリンクサスっているの?みたいな話はあります。 清水:そう、そこは結構、最近のシトロエン、DSなんかを見ると、リヤがトーションビームでこの乗り心地?っていうのあるから。やりすぎちゃダメなんだよな。儲からないし。