プロでも観たかった…“甲子園のスター”だった天才打者(6)甲子園2連覇に導いた後は…?
第106回全国高等学校野球選手権大会は、京都国際(京都)の初優勝で幕を閉じた。今夏も、数多くの高校球児が聖地で躍動。中には、一躍プロ注目選手に名を上げた逸材も現れた。一方で、過去には夏の甲子園で華々しい活躍を見せるも、プロの世界に進まなかった選手も少なくない。ここでは、プロ入りしなかった天才打者を紹介したい。
林裕也(駒大苫小牧)
2004年、2005年夏と2年連続で全国制覇を果たした駒大苫小牧。連覇の立役者となったのが、主将を務めた林裕也だ。 駒大苫小牧では1年秋からレギュラーに定着し、主軸を任されていたが、2年夏の甲子園は「7番・二塁」で出場。 それでも、準々決勝の横浜戦では好投手・涌井秀章(現:中日)を相手に史上5人目となるサイクル安打を達成。大会を通じて持ち前の打棒を発揮し、北海道勢初となる甲子園優勝を成し遂げた。 さらに、主将として迎えた最後の夏も甲子園に出場し、打率.556(18打数10安打)、1本塁打の大活躍で連覇の原動力に。高校日本代表でも主将を任され、AAAアジア選手権の優勝に貢献した。 高校卒業後は駒澤大に進み、3年春のリーグ戦では首位打者を獲得。その後は社会人野球の名門・東芝で9年間プレーした。
ベースボールチャンネル編集部