ホームラン歴代3位の奇才・門田博光が命懸けでフルスイングを教えた「唯一の愛弟子」
「衝撃的でした。めちゃめちゃきれいな一本足打法で、フルスイングしているのにしなやかで柔らかくバットをコントロールして、実際に見たことはなくても、活躍した現役時代の姿を連想させてくれました。 門田さんは当時、すでに糖尿病による腎不全などで体調はだいぶ悪いようで、人工透析が欠かせない状態でした。本来はバッティングどころか体をまともに動かせるような状態ではなかったように思います。それなのに、『倒れて血が出たら止まらなくなるから、あまりできないけど』と言いながらバットをフルスイングして手本を示した門田の姿に、倉本は「吸い込まれていきました」と話した。倉本は「もし夢を叶えられるとすれば、門田さんの教えを信じ、身につけることが唯一の方法」と思ったそうだ。 「門田さんからは練習のたびに『ひとりでバットを振る時間を大切にしなさい。どれだけ遅く家に帰っても、次の日、どれだけ朝早かったとしても、毎日真剣に、全力で100回、バットを振りなさい』と言われました。素振りをするときは必ずひとりで、バットが空気を切る音を確認するようにも言われました。 練習は、1kgの重くて長いバットを使って、重いボールをひたすら打ち返す練習を繰り返しました。当時は余計なことは考えず信じて続けましたが、原始的に思えるような練習も、のちのち振り返れば理にかなっていることばかりでしたね」 チームの臨時コーチとして来たはずの門田は、数日後には他の選手には目もくれず倉本だけを教えるようになった。スイングは360度の円を描くようにして、思い切り体を捻りながら振る。空振りをしたときは吐いてしまうほど全力で振り切るように指導された。何をするにも全力、全力、全力。100パーセントではなく120パーセントの力を振り絞る。ただし無駄に長時間の練習はさせなかった。 初日、「どうせやめるんやろ」と口にした門田は、倉本には「自分で決めたことは貫け」と話した。わずか1週間だったが、倉本にとっては野球人生で最も充実した濃密でかけがえのない時間になった。 ■生き残るために捨てた恩師の教え 2014年シーズン、倉本は門田の現役時代を彷彿とさせる一本足打法で7本塁打を記録する活躍で、都市対抗野球でも大会優秀選手に選出された。ちなみに通算本塁打は、高校時代は3年間で3本。大学時代は4年間で5本だった。 倉本は、門田本人から直接言われたことはなかったが、「自分と似たような、フルスイングを常とするホームランバッターに成長してほしい」という思いを人づてに聞いた。プロ野球で567本もホームランを打った門田だが、高校時代は1本も打てず、その後の努力で稀代のスラッガーになった。そんな自分とどこか重ね合わせて見ていたのかもしれない。 倉本自身も、門田の現役時代の打撃フォームを繰り返し見て研究し、偉大なる恩師に少しでも近づけるようにと努力を重ねた。韓国・仁川で開催されたアジア競技会では侍ジャパンに選出されて主力で活躍した。実績が認められ、倉本は同年10月のドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから3位指名された。