なぜロシアの侵略戦争を止められないのか…存在感をほとんど感じない「国際法」の本当の存在意義
■「ルールに基づく国際秩序」とは何か このように、国際法の法としての弱さは明らかだ。では、国際社会では法とかルールなどといったものには何の意義も認められないのかといえば、それは違う。法やルールが全く意味を持たないとすれば、国際社会は力、とりわけ軍事力がすべてを決する弱肉強食のジャングルのような場所だということになる。そして今、ウクライナ人が経験している非道な侵略戦争は、世界がまさにそのような場所であることを証明しているようにみえる。 だがわれわれは、過去数十年の間、こうした状況が、米国が主導し、日本を含むリベラルデモクラシー諸国(※2)を中心とするその他の国々とともに形成・維持してきた国際秩序の下、かなりの程度まで緩和されてきたことを見過ごすべきではない。それが、「ルールに基づく国際秩序」と呼ばれるものだ。 第2次世界大戦後の世界では、最強の力を持った米国に、大国も小国も国際的なルールを尊重し、力任せの行動を控えることを原則とすべきだとの思想があった。 むろん米国に、力任せの行動が全くなかったわけではない。それでも米国が、その力が世界の他の国を圧していた時期でさえ、強さのわりには力の行使を抑制し、国際法や国際ルールを比較的尊重するふるまいをみせ、それに日欧などのリベラルデモクラシー諸国が共鳴したことは、国際秩序のあり方に大きな影響を与えてきた。その結果、われわれは、国際社会が権力闘争の場であり、究極的には軍事力がものをいう状況にあるということを、普段はあまり意識せずに過ごせてきたのだ。
■国際秩序を守るために「防衛力」を使うべき もしこの状態が無に帰すならば、世界はかつてのような軍事力を中心とした権力闘争の時代に戻ってしまう。たとえばウクライナに対するロシアの行動が容認されるならば、強国は国際的な法やルールを無視して何をしてもまかり通るということになりかねない。そうなれば、力による横暴に対抗できるのは力しかないということになる。 世界がそのような状況に陥りかねなくなっているという現実を切実に懸念した国々の多くが、国際法や国際ルールを無益なものと切り捨てるのではなく、それらが尊重される国際秩序、すなわちルールに基づく秩序の再構築・再強化を目指そうとしているということの意味を直視することから、中央政府を欠いた国際社会における法やルールの意義がみえてくる。 ただしここで、誤解してはならないことがある。それは、ルールに基づく国際秩序の再構築・再強化は、国際的な法やルールの整備だけでは達成できないということだ。世界のすべての国が心をひとつにしてルールに基づく秩序の形成を目指すなどということが考えられない以上、ルールに基づく国際秩序を安定させるためには、異議のある国々を従わせるための何かが必要だ。だが中央政府を欠いた国際社会では、法やルールの効力には限界がある。 では、何が必要なのか。それは、日米欧などのリベラルデモクラシー諸国を中心に、この秩序を守りたいと望む国が軍事力を含む力を結集することだ。われわれに世界が権力闘争の場であることを意識せずに生きることを許してきた秩序を守るのに力が必要というのは矛盾のようだが、そうではない。いかなる社会秩序も力により支えられなければ安定しないのだ。 世界第4の経済力を持つ国がどれだけ積極的に関わるかは、この結集の成否を左右しよう。最近日本では防衛力強化の機運が定着したが、狭義の日本の防衛のためだけではなく、ルールに基づく国際秩序のための防衛力強化という発想が求められている。 ※1:国連安保理は5カ国の常任理事国(米国、英国、フランス、ロシア、中国)と10カ国の非常任理事国で構成。安保理決議には9カ国以上の賛成票が必要で、国連加盟国は安保理の決定に従う義務がある。しかし、拒否権を持つ常任理事国が、1カ国でも反対すると決議は成立しない。 ※2:日本や米国などに代表される、個人の自由と権利を重視する民主主義の政治体制の国々のこと。主な特徴として、「個人の自由と権利の保護」「民主主義的な統治」「法の支配」「自由市場経済」「多元主義」などがあげられる。 ※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年10月18日号)の一部を再編集したものです。 ---------- 神谷 万丈(かみや・またけ) 防衛大学校総合安全保障研究科教授 防衛大学校総合安全保障研究科教授。東京大学卒、コロンビア大学大学院(フルブライト奨学生)などを経て現職。ニュージーランド戦略研究所特別招聘研究員などを歴任。現在国際安全保障学会会長、日本国際フォーラム副理事長も務める。専門は国際政治学、安全保障論。 ----------
防衛大学校総合安全保障研究科教授 神谷 万丈