「道長は2人の子と気づいた?」意見分かれる…まひろが「我が身のこと」を物語にする理由とは【光る君へ】
平安時代の女流作家で、『源氏物語』の作者として知られる紫式部(ドラマでの名前はまひろ)の人生を、吉高由里子主演で描く大河ドラマ『光る君へ』(NHK)。9月15日放送の第35回「中宮の涙」では、まひろが道長に「不義の子を産んだ」ということを匂わせるようなシーンが。それが自分との間にできた子だと気付いたか否かで、視聴者はハラハラしっぱなしとなった。 【写真】このときは気づいてない? 第31回のシーン ■ 不義の子を宿すという展開に、道長は…第35回あらすじ 御嶽詣から京に戻ってきた藤原道長(柄本佑)は、娘である中宮・彰子(見上愛)に挨拶をしたその足で、彰子に仕えているまひろの房を訪問。書き上がったばかりの「若紫」の帖に目を通すが、藤壺の宮が光る君と密通して、不義の子を宿すという展開に、思わず「どういう心づもりで書いたのだ?」とまひろに尋ねる。まひろは「我が身に起きたことにございます。我が身に起きたことは、すべて物語の種にございます」と返す。 つづけて「お前は不義の子を産んだのか?」と道長が問うと、「一たび物語になってしまえば、我が身に起きたことなぞ霧のかなた。まことのことかどうかも分からなくなってしまうのでございます」と、はっきりとは答えなかった。すぐに写本を作るために去っていった道長を、まひろは落ち着かない表情で送り出す。そして道長の方もふと足を止めて、まひろの言葉の意味について考え込むのだった・・・。
共有・共感させてフィクションに…物語の作用
まひろの娘・賢子(のちの大弐三位)が、道長とのたった一晩の不倫で生まれた子どもだった・・・という、実に大胆な設定を持ってきた『光る君へ』。賢子が生まれてから以降、その事実を道長が知るXデーはいつになるのか? が、視聴者の間では大きな話題の一つとなっている。第31回で道長が賢子と初対面したときには「まさか!?」と騒然となっていたが、このときは「多分気づいてない」という声の方が大きかった。 そしてこの35回では、「若紫」を編集者チェックした道長が、どうやらまひろが自分と出会ったときの頃をモデルにしていると、すかさず察知した模様。SNSでも「『小鳥を追いかけていた頃のお前はこんなに健気ではなかった』このドラマの道長くんにしか言えないな」「2人の間だけでしか通じない昔話が作中に織り込まれてるのどんな気持ち??」「嬉しそうに憎まれ口たたくねぇ道長くん! 表情がめちゃくちゃ生き生きしてるぞ!!」と微笑ましげに眺める声が。 しかし道長が、光る君に不義密通をさせた理由を問うた瞬間、空気がサーッと引いた感じに。まひろが「私が経験したことが元ネタですんで」と告げるに至っては、「ここで本人の前で元ネタバラすか??」「まひろこわい。おのれを『物語』の器にした」「『我が身に起きたことは、全て物語の種にござりますれば』意訳:全部ネタにしてやるわよ」「道長くん『恐ろしいことを申すのだな』おれたち『本当にそう』」と、SNSでは肝を冷やすような言葉が並んだ。 そしてその流れで「不義の子を産んだのか?」と道長が畳み掛けるけど、これに対しては「一度物語にしちゃったらどっちでもよくなるんで」とばかりに、言葉を濁したまひろ。確かに古今東西の私小説的な作品に思いを馳せると、作家の生々しい体験を物語化して、多くの人に共有・共感させることで、普遍的なフィクションとして独り歩きしていったという例は数多い。 まひろも作家の直感で、物語にはそういう作用があることを発見したのだろうし、恋人を亡くしたあかね(泉里香)に、のちに『和泉式部日記』となる文章の執筆を勧めたのも、そういうことだと思われる。