『かくしごと』杏演じる千紗子はなぜ、嘘をついてまで少年を匿ったか。初めて母になれなかったことを「惜しい」と感じた美しい作品
◆私は映画というものに初めて「感謝」した 実は私はこの映画を見た日、58歳にして初めて男性に、つまり今の夫に「赤ちゃん作りたい」と言ってしまった。 勿論私の年齢では無理だし、難病の治療で催奇性のある薬を投与された時、「もう子どもは望めないと理解した」という同意書にサインしているので、不妊治療に頼んだとしても、子どもは望むことはできない。 でも、自分の人生で母になる経験をできなかったことを、初めて「惜しかった」と思った。子どもができないことに猛烈に悩み、高額な不妊治療を続けた友人たちの気持ちがやっと理解できたと思った。女性にとって、母になれるということは、何と甘美で大切なことなのか。 いや、しかしこの映画は、「血の繋がり」があっても、親は子どもを虐待できるという現実も見据えている。子どもも又親を虐待できる。血の繋がった家族というのは、実は一番残酷になれる対象なのだ。ただ肉体的に母になることが素晴らしいのではない、誰かを母のように愛し、その信頼を返してもらえたら、それは性的な喜びをはるかに超えた結びつきになるだろう…。 30年前のバブル期の日本ではレディコミが大ブーム。奥田瑛二はトレンディー俳優として「セクシー」との賛辞を浴び、人妻たちは『金曜日の妻たちへ』に熱狂した。「妻でいるより女でいたい」と、日本の母の価値は地に堕ちた。 しかし、女で居続けることに固執するより、娘、女、母へと変容していけることは、生き物として、女としての自然な幸福の形ではなかったのか? 成長と老化は同時進行する。それに歯止めをかけようとアンチエイジングにいそしむより、「年相応」に成長し、老いてこそではないのか? この作品は、肉体的経験によらなくてもいい、だれかの「母」になりたい、「お母さん」と呼ばれてみたい、そんな思いを初めて私に感じさせてくれた映画だ。私は映画というものに初めて「感謝」した。 かといって、この映画には男によって勝手に押し付けられた「こうあってほしい母親、あるいは娘」の姿などどこにもない。私たち女性がリアルに「私と同じ」と思える、自然な女性の姿がそこにある。改めてこの関根監督と杏さんに拍手を捧げたいと思う。
さかもと未明
【関連記事】
- 炭鉱夫の息子は、バレエダンサーになれるのか?『リトル・ダンサー』進路に悩む若者と、子育てに悩んでいる親御さんと、両方に見て欲しい
- まさに光源氏と紫の上!『プリシラ』エルヴィス・プレスリーに愛された15歳の少女。浮気者のスターと彼女の関係は
- 『オッペンハイマー』この映画が描く恐ろしいものは「人間の心」と「権力の闇」。ノーベルはその名を冠した賞まで運営されているのに
- 『カラーパープル』の舞台は南北戦争から50年後。1985年版は、スピルバーグが無冠に終わった、まさかの作品
- 役所広司がカンヌで最優秀男優賞『PERFECT DAYS』は小津安二郎の『東京物語』のオマージュ。役所さん演じる平山を見て私たちは満ち足りる