能登半島地震 現地取材でわかった「ボランティアを受け入れられない深刻な事情」
ニッポン放送・飯田浩司アナウンサーが1月5~7日、能登半島地震で被災した石川県各地を取材。珠洲市の現状を、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(1月8日放送)においてレポートした。 【写真4枚】救援物資が詰まれたままだった珠洲市役所 ほか
能登半島地震発生から124時間後に珠洲市で90代の女性を救出
1月1日に発生した令和6年能登半島地震。地震発生から約124時間がたった6日午後8時20分ごろ、石川県珠洲市正院町川尻の倒壊した2階建ての住宅から、90代の女性が救助された。救助にあたった消防隊や医師が7日午前に取材に応じ、女性は足に怪我をしているものの、会話ができるまでに回復していると話した。 飯田)発災後72時間以降になると、被災した要救助者の生存率が急激に下がるとされ、「72時間の壁」と言われています。その72時間をはるかに超えて救出されました。
金沢市から6~7時間掛けて珠洲市に
飯田)珠洲市に雪が降る前の1月6日に取材しました。金沢市を夜明け前に出発しましたが、珠洲市に着くまでに6~7時間掛かりました。道のりは、ほぼ1本道しかない状況で、激しい渋滞に巻き込まれました。珠洲市役所も事態に対応している真っ最中で、広報対応もあるわけではなく、入り口には届けられた物資が高く積まれており、仕分ける人材を確保するのも大変というような状況でした。
最も不足しているのはガソリン ~正院町ではほとんどの家屋が崩壊し、暖を取るのは車のなか
飯田)珠洲市に住むお嬢さんを助けるため、大阪から来た男性にインタビューしました。 ―– 男性)こちらに住んでいる娘がボランティアの陣頭指揮を執っています。私は大阪に住んでいるのですが、震度5が先にあったので「大丈夫か?」と電話し、娘が「大丈夫」と言ったそのときに震度7の地震がきたのです。娘の悲鳴とともに電話が途絶えたので、その足で1月2日の18時に自衛隊の第1陣とともに来ました。外から来た身ですが、いろいろなことを経験しました。 飯田)あの満載になっている物資も全部積んで来たのでしょうか? 男性)いえ、これはボランティアさんが積んでくださいました。しかし、これら(の物資)は実際には機能していない、物資は来れども運ぶ人がいない。本当の声は地元の若者や、いろいろなところの災害を経験したボランティアさんがいま……。 飯田)いまでもいちばん欲しいものは何ですか? 男性)ガソリンです。一貫してガソリンです。正院町の方は見てきましたか? 飯田)まだです。 男性)壊滅ですよ。一軒もまともな家はありません。家はすべてなくなっているので、暖をとるのは車なのです。しかし、みんな燃料がいつ届くかもわからず、ガソリンスタンドも長蛇の列なので、怖くて車のエンジンをかけられないではないですか。だから1日5リットル、一晩過ごせるだけの燃料でも配ってもらえると、もっと車を有意義に使えるのではないかな。 ―– 飯田)能登半島へ行く道すがら、開いているガソリンスタンドもありましたが、緊急車両に限定して入れていたり、量を絞って「1人10リットル」という形で給油しているところもありました。それも能登半島の入り口の部分で、珠洲まで行き渡るのはなかなか難しいようです。能登半島はブーツを逆さにしたような逆L字型をしていますが、珠洲市はそのつま先の部分に存在します。珠洲市へガソリンを届けるには、半島の付け根からずっと陸路で持っていくか、あるいは海路を使わなければなりません。やはり物資、なかでもガソリンの不足がかなり言われていました。