無理をして帰らなくてよかった…俳優の小堀正博さんギラン・バレー症候群との苦闘
【独白 愉快な“病人”たち】 小堀正博さん(俳優/36歳) =ギラン・バレー症候群 声をかけられた途端にぶわっと涙が…立花理佐さん直腸がん手術を振り返る ◇ ◇ ◇ 今年の3月10日、救急で運ばれた病院で点滴を打ってもらったあと、「このまま帰ってもいいですし、泊まってもいいです。どうしますか?」と言われたんです。多少、動ける状態ではあったのですが、僕自身が不安だったので「泊まらせてください」とお願いしました。その翌朝、呼吸困難になりました。 体調がおかしいと感じたのは、その日の午前中でした。熱が38度もあって、握力が入りにくい気がしました。昼にはペットボトルの蓋が開けられなくて変だとは思ったけれど、熱があったのでそのまま寝てしまったのです。 ふと夕方、目覚めてトイレに行こうと思ったら、体に力が入らない状態でした。それでもトイレには行きたいので這って行き、便座に手を掛けて立とうとしたけれど立ち上がれない……。それで救急車を呼んだのです。 病院では「感染症からくる筋肉の脱力ではないか」との見解で、点滴だけで「帰ってもいい」という流れになりました。でも自分としては、ただ事じゃないという感覚があったので入院させてもらったのです。今思えば、あのとき無理をして家に帰らなくて本当によかったなぁと思います。 翌朝、呼吸困難になっていたようで、自分では意識がなく、そのときのことは覚えていません。家族にICU(集中治療室)に入る旨を電話したらしいのですが、それも記憶にありません。気づいたらたくさんの管につながれて、人工呼吸器がついていました。体はまったく動きません。それくらい進行が速く、怖い病気なのです。 トータル4カ月半入院したうち、初めの2週間はICUにいました。 「ギラン・バレー症候群の代表的な治療である、免疫グロブリン療法をすればよくなるんじゃないか」という話で、免疫グロブリンを5日間ぶっ続けで点滴しました。1回目の薬がうまくいかなかったので、薬を替えてもう5日間点滴。あとは時間の経過を待つしかなく、体が固まらないように地道にリハビリをするだけでした。でも、体は触られるだけで痛い状態。足を5センチ持ち上げられると泣き叫びたいくらいでした。 ■氷を食べた時うれしくて泣きました ただ、人工呼吸器がついているので声も出せません。初めの約1カ月は50音のボードを使って“会話”をしました。看護師さんが指してくれる文字に、唯一動く首で合図しながら「さ」「む」「い」と伝える……そんな感じでした。自律神経もおかしくなるので、部屋をめちゃくちゃ冷やしたうえに氷枕を体中に敷いても汗が止まらない、なんてこともありました。 食事は鼻からの経管栄養。朝と昼は2時間、夜は4時間かかるのでつらかった。ICUで氷を食べた時、うれしくて泣きました。「口から物を食べるってこんなだったなぁ」と感動したのです。 4月12日から自発呼吸の練習として、昼間だけ喉に開けた穴に蓋をして、その間だけ声を取り戻しました。でも夜は相変わらず人工呼吸器です。 呼吸なんて、生まれた瞬間からやってきたことなのに、初めは意識しないとできませんでした。ボーッとしていると息をするのを忘れて、機械がピーピーと鳴って教えてくれるんです。意識し過ぎると息を吸い過ぎて過呼吸みたいになるし、吸い込むスピードや量、吐き出すタイミングのちょうどいいところが数日間掴めませんでした。当たり前のことが当たり前にできるって、すごくありがたいことだと痛感しました。 口からペースト状のものを食べさせてもらうようになったのは4月25~26日。少しずつ人間らしくなってきました(笑)。 そうは言っても、ようやく深い底辺から脱しただけで、完全に元に戻れることは想像できなかったです。 でも、そのうち力の入らない手でペンを持って辛うじて字が書けるようになり、ゴールデンウイークが明けると喉の穴を閉じて完全な自発呼吸になりました。 その後は、回復期に入り、ひたすらリハビリ。1日3時間ぐらいやっていましたが、しんどくなかったです。むしろ楽しかった。初めは1日1歩どころか0.2歩ぐらいしか進まない状況でしたけど、日々自分の成長が感じられて前向きになれました。先生方も「これなら早いで、回復」と、回復の可能性が高い話をしてくれるので、希望を持って取り組めたのです。 退院したのは7月26日です。杖と装具を着けていれば、1キロぐらい歩ける状態まで回復しました。初めは左足首がだらんと垂れてしまうので固定するために装具を着けていました。退院直後はゆっくりにしか歩けなくて、立っているだけでしんどいので買い物も大変でした。 でも8月の終わりから9月の頭には、自分の中では日常の不便が少なくなった印象です。まだ走ったりは難しいんですけどね。 病気が突然すぎて、戸惑うばかりでしたが、割と前を向くのは早かったかな。車イスで過ごせるなら、それはそれで楽しいかもと思えたんです。たくさんの人の支えや回復した人の話に希望を与えてもらいました。だから僕も回復した例として、誰かの希望になれたらうれしいです。 (聞き手=松永詠美子) ▽小堀正博(こぼり・まさひろ) 1988年生まれ、大阪府在住。2006年公開映画「かぞくのひけつ」で俳優デビュー。NHK連続テレビ小説「舞いあがれ!」、テレビ朝日系「遺留捜査スペシャル」「科捜研の女2022」など出演多数。24年に海外の映画祭で数々の賞を受賞した映画「事実無根」にも主要キャストとして名を連ねている。また教員免許を持っており、中学受験生をメインにオンライン家庭教師も行っている。