なでしこ18歳DF古賀塔子 内気だった少女が世界の舞台で活躍 「体を張って守ることは通用した」
「パリ五輪・サッカー女子・準々決勝、日本0-1米国」(3日、パルク・デ・プランス競技場) 日本が宿敵の米国とベスト4を懸けて対戦。互いに一歩も譲らず延長戦に突入した。だが、延長前半のアディショナルタイムに1点を失い、日本はベスト8で敗退となった。DF古賀塔子(18)=フェイエノールト=は「本当に悔しいので、次はメダルを取れるように4年間頑張りたい。1対1や、最後に体を張って守ることは通用した」と初めての五輪で課題と収穫を得た。 長身を生かし、堂々としたプレーでピッチを駆け回った。チーム最年少の古賀は少女時代、大阪のクラブで才能を開花させると、JFAアカデミー福島を経てフェイエノールトと一気にエリートへの道を駆け上がった。内向的でおとなしかったという少女は、成長とともに持ち前の芯の強さを発揮し、進化し続けている。 小学校入学後、兄がプレーしていた影響で地元の「FCグラシオン」でサッカーを始めた。担当コーチだった岡亮太さん(38)は「俊足で背も高く、頑張り屋だったが、低学年のころはぶつかることがあまり得意でなかった」と消極的な一面もあったと明かす。 リフティングなど自主練習でコツコツと努力を重ね、上級生になると男子と混合のチームでも頭角を現した。「5、6年生になるとスピードもぶつかり合いも、ほとんど男子に負けることはなかった」と同コーチ。責任感も強く「男の子はあいつに勝ちたいとか倒したいというモチベーションが影響するが、女の子は仲間意識があり、古賀も自分が負けるのが嫌というより仲間を勝たせるために頑張るという思いが強かった」と振り返る。 6年生の夏にJFAアカデミー福島を受験して合格。12歳で親元を離れて当時静岡の施設で寮生活を送ることになった。そして卒業後はオランダに渡りフェイエノールトに入団。内気だった少女のステップアップに同コーチも舌を巻く。「中3とか高1のころは進路の話をした時も『WEリーグに行ければいいかな』という感じで、そんなに海外志向とかもなかったと思う。高校で世代別日本代表に選ばれ、海外へ試合に行って憧れも出てきたのかな」。 現在はオランダで通訳をつけず1人暮らしするなど、たくましさも身につけている。「『オランダ語は分かるの?』と聞いたら、『全然分かりません』と平然。『コミュニケーションはどうしているの?』と聞いたら『雰囲気です』とも言っていた。その辺はすごいギャップですね。もともとDFだが、オランダのフェイエノールトではボランチをやっていてポジショニングが難しいらしい。言葉も分からないから身ぶり手ぶりで頑張っているようです」と、成長ぶりに目を細めた。 ◆古賀塔子(こが・とうこ)2006年1月6日生まれ、大阪府豊中市出身。FCグラシオンからJFAアカデミー福島を経てフェイエノールト所属。23年W杯にトレーニングパートナーで帯同し、同年10月のアジア大会では代表入りして優勝に貢献。173センチ、58キロ。利き足は右。