「自分の旦那の愚痴だけは言うてもええんです」103歳の石井哲代さんが仲間とのおしゃべりを大切にする理由
悲しみもつらさも、みんなで分かち合う
50年間変わらないのが、おしゃべりで盛り上がることですなあ。集まってお茶を飲みながら、面白い話をするんです。どんな話題かって? 悪口は絶対に駄目ですが、人を傷つけない噂話は大いにしました。そりゃあ噂話じゃないと人は寄ってきませんもの。あとは、自分の旦那の愚痴だけは言うてもええんです。私も良英さんの小さな愚痴を大きく盛って話していました。良英さんにしたら迷惑な話でしょうけど。ぷぷ。でも他の人からすれば「先生もあれくらい言うんじゃけん」って話しやすいムードをつくれたんじゃないでしょうかな。 どうにかしておとなしい人にも話題を振るんです。仲よしクラブに来たら必ずいっぺんは口を開いてもらうん。ここに来てよかったって思って帰ってほしいですから。この村(集落)に住んでいる以上は、村の人のことを知っておいてほしいし、何より誰も孤立せんようにしたかったんです。 今ではメンバーもすっかり代替わりしましたねえ。別れをたくさん経験しました。だから毎年12月には、大切な仲間をしのぶ会を開いています。その年に亡くなった人の名前を包装紙の裏に書いて、みんなでお経を読むんです。見てください。毎年書き足すから、こんなにようけ名前があるんでございます。 懐かしい名前をみんなで見つめ、一人一人の名を読み上げてみるとその人の姿が鮮やかに浮かぶんです。死んでも終わりじゃない。私らの心がちゃんと覚えとります。悲しみもつらさも、みんなで分かち合うからこそ乗り越えてこられたんかもしれんなあ。 仲よしクラブをやることで、地域に目が向くようになりました。私も仕事や家のことを必死でやっていた生活から、少し世界が広がりました。普段はばらばらに暮らしていても、仲よしクラブの日だけはみんなが集まって刺激を受け合うん。そうやって日常に変化をつけるのはええことです。自分で変えようとしないと、ひとりでに変わるなんてことはありません。みなさんも、そう思うてくれとったんかもしれんなあ。仲よしクラブは私たちにとっての遅い遅い青春、ちょっとした革命でした。
石井哲代,中国新聞社