「現ドラの記事も目には入ってきました」――DeNA坂本裕哉の“下剋上物語” 苦心が続いたドラ2左腕が開花したワケ【独占】
恩師としたクローザーの「言葉」とは
2020年6月25日の中日戦で初登板・初先発を果たし、見事にプロ初勝利を掴んだ坂本裕哉は恒星の如く眩い光を放った。しかし、ドラフト2位指名で横浜に降臨したルーキーのキャリアはそこから一変。プロ4年間で4勝(20年)、4勝(21年)、未勝利(22年、23年)と苦心の時が続いた。 【動画】魂の咆哮! DeNA坂本の快投シーンをチェック 坂本自身は「全部ひっくり返す」と意気込み、動作解析に加えて、食事制限と弛まぬ努力を続けてきた。実際、ストレートの球速は上がり、変化球にも磨きがかかった。しかしあのデビュー当時の輝きは、なかなか取り戻せなかった。 「現役ドラフトの記事も目には入ってきましたね」 そう漏らす本人は、放出も囁かれる昨オフの心中穏やかではいられなかった日々を振り返る。しかし、重ねた努力は24年シーズンに報われた。ブルペンを支える貴重な左腕として、レギュラーシーズン48試合、ポストシーズンでは10試合登板のフル回転で躍動した。 無論、飛躍の背景には本人の「このままでは終われない」という並々ならぬ思いがあった。昨年から中継ぎに転向した坂本は、オフにチームの守護神である森原康平に自主トレ同行を志願。12月半ばからキャンプイン直前まで広島県の福山に籠もり、朝早くから夕方まで厳しい姿勢で徹底的に己を追い込んだ。 森原は悩める坂本に「自主トレでやったことを続けてみよう。マインド的に打たれたらどうしようと思っちゃうんですけど、その先の不安を考えてもしょうがない。やることやってダメならしょうがないじゃん」とアドバイス。 恩師とするクローザーの言葉を受けて坂本も「コツコツとちっちゃいことをやり続ける。それが大きな成果に繋がる」とひたむきに取り組んだ。それは自身の座右の銘である「達成するまで、意思を強く持ち続ける」の意味を持つ『磨穿鉄硯』にもハマった。 そして迎えた24年シーズン。怪我もあって開幕1軍入りこそ逃したが、焦らずにファームで力を蓄え、ゴールデンウイーク開けに1軍登録。「やってやるぞ」と強い気持と、森原からの「準備を100パーセントやりきって、マウンドでは考えすぎず、腹くくって投げるだけ」の金言を胸に秘めマウンドに上がった。 すると、初登板でいきなり150キロを超えるスピードボールを投げ込み進化した姿を披露。さらに6登板目にして自身初のホールドをマーク。「いままではマウンドに行ってからも考えながら投げていたんですが、頭の整理をブルペンで済ませていけました。キャッチャーのサインも、自分の考えと違うと不安になることもあったのですが、その考え方もあるなと理解することもできるようになりましたね」と心の余裕が、自ずと視野をも拡げさせた。