「お化けだ」「気持ち悪い」生まれつき“顔のアザ”に悩んだ男性が語る半生。精神疾患になる人も
フランケンシュタインのような術後写真
高校に入学すると、母親と名古屋大学付属病院の形成外科を受診する。形成外科では、先天性または後天的に生じた身体組織の形態異常や欠損などに対し専門的な治療を行う外科系診療を行う。のちに高校1年生で自分の意志で受診する当事者はあまりいないと知ることになる。 「MRIやCTなどはなかったので、医者の触診のみでした。『治るよ、石井君』と言われましたが、医者の言うことを真に受ける子ではなかったので『証拠を見せてください』と言いました」 医師は「ホントはダメだけど……」と言いながら、ファイルのケースからアザの治療をした男性の顔のBefore・Afterの写真を取り出して見せてくれた。ファイルには、顔半分に皮膚移植をした、まるでフランケンシュタインのような顔をした術後写真があった。左右非対称のその顔は治ったようには見えなかった。
顔の形成手術はしないと決断
「アザの表面を切り取って、胸や太ももなど柔らかいところの皮膚を縫い付けるという術式でした。顔の皮膚というのは表情を作る筋肉の上に、柔らかい皮膚がのっています。医師の『マトモな顔になるには何年もかかる』『紫外線にあたると移植した皮膚が変色するから帽子をかぶって外出することになる』という言葉に、高校生だった自分は絶望しました」 のちにユニークフェイスの当事者活動をしていた時、親や医師に言われるがまま手術を受けた同世代の男性が石井氏に会いに来たが、その顔はやはり左右対称ではなく、顔半分が傷だらけだった。血管種がなくなったあとが傷になっていた。 その男性は「なぜ石井氏は治さなかったのか」と聞いてきたが、石井氏がワケを話すと「親と医師の説明を聞いて完全に治ると信じていた」とショックを受けたという。 「車の営業をしていた人でしたが、傷だらけで、まるでオカルト映画に出てくるような顔でした。恋人もいないし結婚もしていませんでした」
アザは完全に治るという誤解
石井氏は情報を集め、20代で顔の形成手術はしないと、自分の人生を決めた。「自分の顔をどうするかは自分で決めたほうがよい」と語る。 「今はレーザーなどでゆっくりだけど、治る人は増えています。だけど、それはアザの面積が狭く、浅い場合です。全員が完治するわけではない。私は医学論文も読んでいます。『完治するんじゃないか』という人がいますが、皮膚には個性があります。治療後の皮膚に個人差があることを一般の人は知りません」 石井氏は1999年3月に『顔面漂流記: アザをもつジャーナリスト』(かもがわ出版)を出版する。 「外見の問題からくる差別や心の傷は日本では放ったらかしでした。本を書こうと思ったのは誰もアザについて書いている人がいなかったからです。本には葉書がついていました。担当編集者に『1通きたら100人の人が読んでいると思いなさい。初版3000部だから30通きたら大成功』と言われました。しかし、私の自宅には、手紙が何百通も届き、編集者は驚いていました」 その内容は、外見の問題で自殺した人の遺族やひどいやけどを負った人、生まれつき髪の毛がないなど、深刻なものが多かった。「一緒にお茶飲みくらいではすまねえな」と思った石井氏は、任意団体ユニークフェイスを立ち上げる。