「仕事のために生きているわけじゃない」元新聞記者・31歳男性が安定した職を捨て〈ワーホリ〉を選んだ理由
日本を出る前、30歳過ぎて会社を辞めてワーホリなんて…と周囲に言われたという元新聞記者のSさん。しかしシドニーに来てみるとそんなことを言う人は1人もおらず、誰もが自らの幸せを大切に日々を生きていました。Sさん自身も、滞在する中で自身のマインドの変化を実感したそう。本記事では『安いニッポンからワーホリ!最低時給2000円の国で夢を見つけた若者たち』(上阪徹著:東洋経済新報社)より一部抜粋・再編集し、Sさんを含めた計4人のワーホリ実践者のインタビューをご紹介します。 【ランキング】都道府県「大学(学部)進学率」…3位「神奈川」2位「京都」1位は?
電車に乗っても、疲れている人を見かけない
シドニーのタウンホールにある語学学校「ILSC」の協力で、到着から1~3か月経った4人のワーホリ実践者にも集まってもらい、匿名でインタビューすることができた。 3か月前にやってきたのは、大学3年生の女子学生だ。 「本当は大学で海外研修があったんですが、新型コロナで行けなくなってしまって。語学の短期留学を当初は考えていたんですが、ワーホリのほうが長くいられるのでいいな、と思いました」(Iさん、21歳) 日本で高校の教師をしていたという女性は、なるほどという動機を教えてくれた。 「今、進学校では海外大学進学がブームになっています。でも、学校が生徒を送り出そうとしても、やはり海外の生活に対して不安を取り除けない生徒は多くて、最終的に国内に決めてしまう現実があるんです。それなら、教員が自ら海外の生活を経験したらどうだろうか、と。こんなところに苦しさがある、こんなところは大丈夫など、わかっていたら違うと思ったんです」(Eさん、30歳) オーストラリアという国にずっと行きたかった、と語ってくれたのは、保健室の先生をしていたという女性だ。 「中学校の修学旅行で京都を訪れたとき、英語でインタビューしようという課題が出て、声をかけたのがオーストラリアの人だったんです。この人がとても優しくて、手紙のやりとりもして。将来、絶対にオーストラリアに行きたい、と思っていたんですよね。それで働いてお金も貯めて、ワーホリでやって来ました」(Uさん、27歳) そして政治部の新聞記者をしていたという男性は、これまた記者らしい動機を語ってくれた。 「日本と違う国に一度、住んでみたい、という思いを持っていました。というのも、日本に住んでいるとずっと閉塞感があって。僕たちの年代は失われた30年なんて言われて、生まれてからずっと不景気なんです。このまま好景気というものを経験しないままで終わるのは切ないな、という思いがずっとありました。経済的にいい国というところに一度、住んでみたかったんです。留学だと準備が大変ですが、ワーホリはビザが取りやすいですから」(Sさん、31歳) 2か月ほどの滞在で、閉塞している日本と、解放感あふれるオーストラリアの違いをすでに実感しているという。 「感じますね。今ちょうど仕事を探し始めたところですが、皿洗いのアルバイトでも最低時給で約2000円なわけです。日本の大卒初任給が、皿洗いで簡単に稼げてしまう。一生懸命に勉強して働いてようやくその金額に行く日本と、誰でもできる皿洗いでそこに行けてしまうオーストラリア。違いをまざまざと感じさせられますね。でも、英語ができない皿洗いでこれですから、英語ができるマネジメントやホワイトカラーはどこまでの給料になるのか。英語は使えて損はない、ということを改めて実感しています」 そもそも着いてすぐ、違いを実感したらしい。 「わかったのは、空気が違うということです。どこでそれを感じているのかわからないんですが、なんだか明るい。電車に乗っても、暗い人がいない。疲れている人を見かけない。だから、未来がある感じがするんです」 そして日本に対して、世界がどう見ているのかも初めて知ったと語る。 「外国人と話をしていて、日本で仕事をしていたというと、長時間労働の話を必ず聞かれるんです。ブラックらしいね、自殺率も高いらしいね、と。このネガティブイメージが広がっているのは、日本にとって不幸なことだと思いました」