五輪では圧巻も…。A代表で影が薄かった日本人(8)日本屈指の天才MFだが…。怪我が多発している男
世代別のサッカー日本代表で活躍したのち、A代表でも中心選手に成長する選手は多くいる。一方で、世代別代表で存在感を放ちながらも、A代表にうまく定着できなかった選手も枚挙に暇がない。今回は、五輪代表として期待を集めながらも、その後苦しんだ選手をピックアップして紹介する。(データは『transfermarkt』を参照)
MF:大島僚太(おおしま・りょうた) 生年月日:1993年1月23日 五輪での成績:3試合0得点3アシスト(リオデジャネイロ五輪) A代表通算成績:7試合0得点0アシスト 大島僚太は、静岡学園高等学校を卒業して2011年に川崎フロンターレに加入し、プロ1年目からJ1リーグでプレーした。着実に出場機会を増やすと、2016シーズンからは背番号を10に変更し、名門クラブの主軸を任されるようになり、2016年のリオデジャネイロ五輪(リオデジャネイロオリンピック)のメンバー入りは当然のことだった。 大会直前のテストマッチではキャプテンマークを巻いた大島は、チームのリーダーの一人として存在感を示した。リオ五輪本番では、グループリーグ初戦のU-23ナイジェリア代表戦で2アシストを記録。特に南野拓実の得点を演出したラストパスは、その前のボールの受け方からクリエイティブさが光り、強烈なインパクトを残した。さらに第3戦のU-23スペイン代表戦では、ドリブル突破でペナルティーエリア左まで侵入してクロスを入れ、矢島慎也の決勝点をアシストした。 U-23日本代表は準々決勝に進めずに敗退してしまったが、大島は確かなインパクトを残した。同年9月のUAE代表戦でA代表デビューを飾っていることは、大島の活躍が高く評価された証拠と言えるだろう。 ただ、その後はA代表になかなか定着できず、ここまでの出場は7試合のみとなっている。その最大の理由は、度重なるケガだ。大島は慢性的な負傷でたびたび戦列を離れるキャリアとなっており、シーズンを通して活躍することができない。2018年のFIFAワールドカップ・ロシア大会ではメンバーに選出されたがケガの影響で出番なしに終わった。
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