AKB48 17期生水島美結(みゆう)「救急救命士の学校へ行くことが決まっていたのですが、夢だったAKB48に挑戦しました」【連載 なんで令和にAKB48?】
――中学はどんな感じだったんですか? 水島 人見知りがなくなって、みんなに話しかけるようになりました。友達をたくさん作りたくて、クラスが違うコにも積極的に話しかけに行って、同級生で話したことないコはひとりもいないです。 ――すごいコミュニケーション能力! でも、そんなに話すことありますか? 水島 勉強が得意なコとは勉強の話だったり、みんなに学校が楽しいって思ってもらいたいなって。 ――それはもう校長先生の発想ですよ! 水島 確かに。 ――もしかして生徒会長ですか? 水島 でも自分から手を上げてクラスの代表委員をやってました。中学校は本当に厳しくて、移動教室は整列して、ひと言も話さず移動しなきゃいけなくて、話している人を注意したりとか。 ――部活は何をやってたんですか? 水島 陸上部でした。バトントワリングをやっていたから、入らないつもりだったんですけど、陸上部の顧問の先生が私の100メートル走の記録を見て、来ないかって。あまり活動できないかもしれないですって言ったんですけど、それでもいいから来てほしいと。 ――足が速かったんですね。 水島 50メートル走は7秒台でした。女のコだったら学年で4番目とか。陸上部に入って、100メートルと、4×100メートルリレーをやってました。でも逆に長距離が苦手で、800メートルを走ったら過呼吸になるぐらい。 ――でも先生からスカウトってすごいですよね。 水島 同じ学年で陸上部はひとりしかいなかったんですよ。たぶん廃部になっちゃうから声がかかったと思うんですけど、私が楽しいってみんなに話していたら、いろんなコが入ってくれて最終的に7人ぐらいになりました。 ――廃部の危機を救ったんですね。大会とかはどうだったんですか? 水島 バトンをやっていたから、あまり出れなかったんですけど、リレーでは全道大会の準決勝まで行きました。 ――すごい! ちなみにお勉強はどうだったんですか。 水島 中学校では下から数えた方が早いぐらいでした。勉強自体は嫌いじゃなくて、やってるんですけど、あまりできなかったです。ノートを書き写すけど、全然頭に入ってこなくて、たぶん勉強の仕方が悪かったのかなって思います。 ――高校は何をやってたんですか? 水島 バトンを続けながら、最初はマネージャーとして陸上部に入ったんですけど、やっぱり走りたいなって選手に転向しました。 ――バイトは何かしてました? 水島 学校で禁止されていたんですけど、長期休みの時だけはOKで、「銀のさら」さんで働いてました。軍艦を巻いたりできます。シャリはできあがってるので、そこに海苔を巻いて、グラム数を測ってネタをのせて。 ――それは寿司が握れるとは違うかもですけど。 ■最終オーディションは仲の良い友達が一緒に東京へ来てくれました ――AKB48との出会いを聞きたいのですが。 水島 小学校1年生ぐらいの時に、近所のお友達がAKB48の生写真を持ってきてくれたんです。そこで小嶋陽菜さんを見つけて可愛いって。お顔が本当にきれいで、ふわふわしながらもちゃんと芯があって、性格もすごいタイプ。本当に好きでした。そこから渡辺麻友さんや柏木由紀さんも好きになって、けっこうDD(誰でも大好き)みたいな感じでしたね。CDを買って、選抜総選挙で島崎遥香さんに投票したこともあります。 ――オーディションはどうして受けようと思ったんですか? 水島 小学校ぐらいからずっと受けたくて、親に相談したんですけど、北海道だから無理だよって。札幌に48グループができたらいいよって。 でも高3の夏になって、進路を決めるタイミングで、17期生オーディションが発表されたんです。お母さんからも受からないだろうけど、受けてみればみたいな感じになって。
【関連記事】
- ■AKB48 17期生太田有紀「短大との両立でほとんど公演に出れず、レアキャラって言われてました」【連載 なんで令和にAKB48?】
- ■AKB48 17期生布袋百椛(ほてい・もか)「昇格発表、私の名前は呼ばれないんじゃないかと思ってました」【連載 なんで令和にAKB48?】
- ■AKB48 18期研究生工藤華純「オーディションに合格して嬉しかったんですけど、お母さんには『行かないで』って泣かれちゃいました」【連載 なんで令和にAKB48?】
- ■AKB48 18期生研究生山口結愛(ゆい)「HKT48のオーディションに落ちて、改めてアイドルをやりたいって気持ちになりました」【連載 なんで令和にAKB48?】
- ■AKB48 17期生畠山希美「AKB48は人生で1番幸せな気持ちを与えてもらってる場所だし、1番の挫折も味わった場所」【連載 なんで令和にAKB48?】