「私が教えるのは”起業道”です」…米国教授が本当に伝えたい「真のアントレプレナーシップ」とは
胸を張って夢をかなえるために
また、起業後、事業が軌道に乗り始めると、出資者の中には「もっとリターンを」「もっと早く成長を」と言い出す人も出てきます。 さらに資金調達を追加で行うとステークホルダーが増えていきます。上場すればさらに環境が変わります。多くの関係者がさまざまなことを要求し始めます。相反する要求をさばかなければなりません。中には倫理的にギリギリの要求もありえます。「ならば、とにかく利益を増やさなければ」「売上を急成長させなければ」。巡り巡って、そのために手段を選んでいられないという気持ちになることもあるのです。 はっきり言いましょう。だから倫理が求められるのです。ここで間違った方向に舵を切らないために。ビジョンを優先し、胸を張って夢を叶えていくために。 私はバブソン大学で何を教えているのかと問われると、こう答えます、「失敗学と起業道です」と。失敗学については、第三章で触れました。ここではもう一つ、「起業道」について話したいと思います。 起業に道なんてあるのかと問われるかもしれません。いわゆる英語の「way」だと、手段とか方法になってしまいますが、私がいう「起業道」はそれとは異なります。近いのは「武道」「剣道」「柔道」「茶道」「華道」「武士道」など、いわゆる日本的な「道」です。中国では「TAO(道)」という概念があるそうです。
真のアントレプレナーシップとは
この「道」はとても定義が難しいのですが、たとえば、柔道は明治時代に嘉納治五郎が生み出し、講道館柔道として世界に広まったものです。嘉納治五郎以前、数多くの柔術流派が存在しました。いまの柔道を知る人からすると信じられないことに、殴る蹴るがOKの流派もあったそうです。もともと、柔術も剣術も武術として同じもので、武器を使うかどうかの差しかなかった。柔術も、戦場での技術として発展したといいます。シンプルに「相手を倒す技術体系」でしかなかったわけです。 ところが、柔道、剣道に変化した段階で、「精神性」が加わっています。相手を倒すべき存在としてだけではなく、尊敬する相手として敬う。ルールに則って、正々堂々と戦う。自分自身の技術向上と同時に精神面での成長も重視する。 日本のアマチュアスポーツ界では、「~道」というものが反合理的な指導の遠因になっていたり、 極度のパワハラの温床となっているという問題点はあります。そうした歪に変形した「道」の弊害がビジネスや教育も含めた日本社会のあらゆる場面で悲劇を引き起こしているという指摘には私も胸を痛めます。 しかし、本来の「道」はまさに自分を律するためのものであり、周囲に押しつけるのではなく自分自身が究めるものであるはずです。 事業を起こす技術は存在します。私はそれだけではなく、「起業道」として、その技術に精神性、つまり倫理を加えた「起業道」として伝えていきたいのです。 Entrepreneurshipには倫理観が不可欠だと私は思っています。だからこそ「起業道」になる。共感を得る、人を巻き込む、社会を変えるからには、己を律することが必要なのです。 真のアントレプレナーシップは己を律する。 『日本人が勤勉なんてのは大嘘!?...「学び続けてこそ」の人生を学ばずに終わる日本人が“多すぎる”ワケ』へ続く
山川 恭弘