「黒歴史だった?」9年ぶりツアーで日本に〝凱旋〟した『KARA』ジヨンが前より生き生きしてた理由
5人組のK-POPガールズグループ『KARA』が8月17日と18日の2日間、千葉・船橋のLaLa arena TOKYO-BAYで日本では9年ぶりとなるコンサートを行った。今年でデビュー15周年を迎えた『KARA』は、7月24日にリリースした新曲『I Do I Do』やヒット曲の『ミスター』など全25曲を歌い上げた。 【当時17歳】カワイイ…『KARA』のジヨンが13年前のロケで、ハラと一緒に焼き芋を頬張る メンバーのジヨン(30)は、「暑いですよね。皆さんのすごい反応がグッと伝わってくるんですけど、最高の日にしましょう」とあいさつ。日本でのソロ歌手活動時のJYの名義でリリースした、’16年7月期の“フジ月9”ドラマと同タイトルの主題歌『好きな人がいること』も披露した。 「ジヨンは事務所との専属契約を満了後の’14年4月に『KARA』を脱退しましたが、’22年の再始動時に復帰して話題になっていました。今回のツアーでは、苦楽を共にしたメンバーたちと同じステージに立ってかなり楽しそうな印象でした。日本で活動していた頃は、あまりの多忙さのせいか、徐々に笑顔が見られなくなっていましたが、あの時とは別人のようでしたね」(音楽業界関係者) ’14年の『KARA』脱退後、ジヨンはイギリスに滞在していた。だが、日本の大手芸能事務所「スウィートパワー」の辣腕(らつわん)女性社長が現地に飛んで、ジヨンをスカウト。’14年8月から同社に所属し、『知英(ジヨン)』に改名して日本での芸能活動をスタートさせた。 すでに日本で知名度があったことで、同年10月期の日本テレビの連続ドラマ『地獄先生ぬ~べ~』にさっそくWヒロインの1人として出演。さらにはファッション誌『non-no』(集英社)のレギュラーモデルにも起用されるなど、順調な滑り出しだった。 「当時のスウィートパワーのエースは’17年2月いっぱいで芸能界を引退した堀北真希さん(35)で、後釜として桐谷美玲さん(34)を猛烈に売り出していました。この事務所は映像作品やCMへのブッキング能力が高く、ジヨンの仕事も続々と決まりました。桐谷さんは’18年7月に三浦翔平さん(36)と結婚して仕事をセーブしたため、事実上、ジヨンさんがエースに昇格しました」(テレビ局関係者) ジヨンは1人7役を演じた’17年のフジ系ドラマ『オーファン・ブラック~七つの遺伝子~』、人気コミックを実写映画化した’19年公開の『東京喰種 トーキョーグール【S】』など、話題作への主演が続いた。その一方で、JYとしてのソロ歌手活動もこなしていた。 ところが、’19年に韓国の芸能事務所とあらたに契約し、韓国での芸能活動を再開すると、コロナ禍で来日できないことを理由に’21年3月をもってスウィートパワーとの契約を解消。韓国での活動に注力することになった。 ジヨンが去ったスウィートパワーは、その後も契約に関するトラブルが相次いだ。裁判沙汰にまでなった岡田健史(後に水上恒司に改名・25)をはじめ、高杉真宙(28)、黒木メイサ(36)、事務所の功労者である内山理名(42)らが続々と退所したのだ。 「基本、彼らの仕事は件(くだん)の辣腕社長が全部決めていました。事務所がイケイケのころはそれでも良かったのですが、『週刊文春』(文芸春秋)で所属していた女性タレントへの性加害疑惑や、社員へのパワハラが報じられたことも影響したのか、側近だった社員まで退所したといいます。ジヨンにしても、改名させられて『KARA』での実績をなかったことのように扱われたわけで、大きな仕事は入るものの、タレントにとって自由がない状態だったのではないか。それが、退所者が相次いだ理由の一つだと私は見ています」(芸能記者) 久しぶりの日本でのコンサートでは、生き生きとしていたジヨン。彼女にとって、日本の事務所に所属していた約6年半が〝黒歴史〟になっていなければいいのだが……。
FRIDAYデジタル