フルンボイル草原、遊牧民支える大河の水。夏はそのまま、冬は「アイス」で
日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。
2015年8月、私はフルンボイル草原を訪れるという長年の夢を果たした。フルンボイル草原は中国でも有数の豊かな草原で、私の地元よりも伝統的な遊牧文化がよりよく残っている。子供の時からの憧れの地だったが、なかなか行けなかった。だが中国版のSNS、WeChatでウジムジさんという女性と知り合い、彼女の家で滞在しながら撮影させてもらえることになり、取材が実現した。 彼女の家族はモンゴル民族の一部族であるバルグ部に属し、わずかながら伝統的な生活を残していた。一番驚いたことは、一度もレンガの家を造っていなかったということ。今でも移動式のゲルだけで生活している。私が訪れた時は夏営地に2軒のゲルを建てていた。ただ、2キロ離れた冬営地には、石積みの羊小屋などが造られていた。 彼らはオルション・ゴルという川の辺りに生活していた。昔はこの川に沿って、100キロ以上の距離を移動しながら広範囲の遊牧ができていたらしい。それが1980年代の各家庭への牧草地分配と、それに伴う鉄条網の登場によって出来なくなった。 フルンボイル草原は、ほぼ真っ平らな草原で川や湖が多いことで知られる。地下水は塩分が多いため、夏は川の水を、冬は川から氷を切り出すか、あるいは雪を集めてそれを溶かし、飲食に使っている。 私の地元でも子供のころは、まだ夏営地と冬営地に移動していた。夏営地は川のほとりだったので、飲食に使う水のほとんどは川に頼っていたし、家畜も川の水を飲んでいた。こちらでは、今も川の水を利用していた。 オロション・ゴルはフルン・ノール(湖を意味する)とボイル・ノールという二つの湖を繋げるこの地域の大河だ。フルンボイル草原の名前も元々この二つの美しい湖が由来で、この地域のモンゴル人は、その湖をダライ(海を意味する)と呼んで敬愛している。(つづく) ※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第9回」の一部を抜粋しました。
---------- アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA) 1977年 内モンゴル生まれ 2001年 来日 2013年 日本写真芸術専門学校卒業 国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。 主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。