『ラヴィット』大反響の“通訳さん”を直撃!実はスゴい人だった「韓国でも話題になって…」
いきなりニュージーランドに飛んだワケ
――いきなりニュージーランド?!いったいどういう流れでそうなったのですか? みょんふぁ:現地でフリースクールに通う日本人の子どもたちと舞台をつくるから手伝わないか?と声を掛けられたんです。 50人くらいの学生たちと共同生活をしながら、一年かけて『男はつらいよ』のミュージカルを創作しました。もちろん非営利です。 初めて舞台のまとめ役として演出や広報活動まで担ったのですが、オークランドで一番大きな劇場を満員にすることができたんです。 ――す、すごい……!お客さんは知り合いやキャストの家族だけではなく? みょんふぁ:はい。実は公演日の三ヶ月くらい前から『WHO IS TORA?』と書かれたハイエースを映画の音楽をかけながら走らせて、私がさらしに法被(はっぴ)姿で和太鼓を叩いて逃げるというゲリラ宣伝をしていました(笑) ――宣伝方法が破天荒すぎる! みょんふぁ:でも一ケ月半くらい経つと、地元でだんだん話題になってきて、見事に動員につながりました。私にとって、この舞台の成功は大きな転機になったと思います。 ――『ラヴィット!』で見たみょんふぁさんの片鱗を感じさせるエピソードでした(笑)。その後はニュージーランドには留まらずに帰国されたのですか? みょんふぁ:はい。向こうで『日本の女優・みょんふぁ』としてやっていくこともできたんですけど、やっぱり日本で演劇をやりたい気持ちが強くなりまして。 あれだけ反対していた家族も『何をやっても誰かを傷つけることにはなるんだから、やっちゃえよ』と背中を押してくれました。 そしてついに、上京になります。折しも『冬ソナ』で韓流ブームの時期ですね。
「マルチな人間、万歳」と思えるようになったキッカケ
――まさに日本と韓国の距離感が一気に縮まった時代ですね。 みょんふぁ:そこから私自身も日韓交流が盛んになりました。韓流イベントの司会、日韓それぞれの戯曲の翻訳や、映画や演劇の通訳などで活動の幅がさらに広がったんです。 演劇の方では2014年に文化庁の在外研修に選ばれて、韓国国立劇団で俳優修業をし、翌年には韓国国立劇場で韓国女優デビューしました。 2016年には『代代孫孫2016』と『トンマッコルへようこそ』の二つの作品で小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞しています。 2021年には子供の頃からの夢だった、舞姫・崔承喜のひとり芝居『母MyMother』を『血と骨』や『焼肉ドラゴン』の鄭義信さんに書き下ろしてもらって公演を行いました。 ――活躍ぶりが想像をはるかに超えていました。どれだけマルチなんですか。みょんふぁさん、凄い人だ……。 みょんふぁ:でも、長いこと女優という肩書きにこだわっている自分もいたんですよ。何をしていても、私の根本は女優だっていう感覚でいました。 それがある時、たまたま傍(かたわら)に居合わせた知らない韓国人のおばちゃんに「色んなことができるって最高じゃない」って言ってもらえんですよね。 その言葉をきっかけに自分の中の景色が広がっていったんです。今となっては「マルチな人間、万歳」って思ってるくらいです(笑) ――今回『ラヴィット!』に出演したことで、マルチな才能をさらに証明した結果になりましたね。