音楽プロデューサー松尾潔・曙が活躍した「平成の大相撲ブーム」語る
■「横綱の品格」 そういう時代を経て、その次は小錦。彼は横綱がもう目の前まできていましたが、当時マスコミでは「相撲協会が外国人横綱の誕生を快く思ってないんじゃないか」といった報道が流されていました。 たしかに、日本人力士だったら横綱に昇進していたのではないかという成績を収めても、なかなか昇進できなかったように、素人の目には見えましたね。僕だけじゃなく、当時釈然としない思いが、相撲を見ていた人にはあったんじゃないかと思います。 そのときによく「横綱の品格」という言葉が使われていました。「土俵上での振る舞いが、日本で国技と呼ばれることも多いこの相撲にそぐわないんじゃないか」と、小錦の場合はよく言われていました。 ■「強さは小錦、心は高見山」 その後に出てきた曙は当時「強さは小錦、心は高見山」という呼ばれ方をしていました。これ、随分と相撲協会にとって都合のいい言い方です。言い出したのは協会ではなく、当時のマスコミが作ったんですけど、これって今の時代に聞くと、不適切極まりないという感じがします。「個の人格を何だと思っているんだ?」と言いたくもなります。 アメリカ・メジャーリーグで初めて活躍したアフリカ系の選手、ジャッキー・ロビンソンになぞらえる方もいますが、パイオニアゆえの苦しみとか葛藤があったと思います。 ■引退後の3横綱 人生というものは短いようでそこそこ長いものです。特に相撲は20代の頃から周りの人が深いお辞儀をするような環境です。そして、引退した後のキャリアもまた、我々はずっと見ています。 江戸時代と違って、引退後の生活もメディアがずっと追っかけていますから、我々は小錦のその後も見ているし、曙のその後も見ているし、同じように若乃花のその後、貴乃花のその後だって知っているわけですよね。 先ほど3横綱の時代があったって言いましたが、この3人は誰も相撲協会に残らなかった。曙さんは格闘技に転向し、若乃花さんはタレント活動やアメリカンフットボールにチャレンジしたときもありました。