有沙瞳、元宝塚娘役が老舗演歌系プロダクションから再出発 こだわり続けたい歌への思い
◆『1789』マリー・アントワネットでの退団は「娘役として辞められてうれしかった」
――やはり組替えは大きかったんですね。ほかにターニングポイントを挙げるとすると…。 有沙:いっぱいあるんですけど、今度ひとこさん(永久輝せあ)がやられる『ドン・ジュアン』が印象に残っています。芝居がほとんどなくて、歌でストーリーをつなげていく作品はほぼ初めての挑戦。役としてお芝居で歌う、ただ歌うだけじゃなくて物語をつなげていくというのはやりたかったことでしたが、難しさもやりがいもありました。 考えてみると、生田先生の作品がターニングポイントになることが多いですね。『THE SCARLET PIMPERNEL』の新人公演も、『鎌足-夢のまほろば、大和し美し-』もです。『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』は卒業を決めていたタイミングの作品でしたが、演じたバテシバは、ギオルギ様を愛しているから旅立ちますという役どころ。みんなは知らないけれど、私もまもなくここから旅立つという思いを抱えながら演じていたので、先生からの当て書きなのかな?と思ったりもしました。 ――先ほど、何度か卒業を考えられたというお話がありました。 有沙:『龍の宮物語』を演じられたことによって、有沙瞳の宝塚の作品を1つ残せたって思えたんですよね。星組に組替えになってすごくお世話になっていた瀬央ゆりあさんの2回目の主演作ということもありましたし、指田珠子先生のデビュー作ということで、どうにかこの作品を残したいという思いが強くあったんです。初日が明けて、お客様からうれしいお言葉を頂いて、肩の荷が下りたわけじゃないですけど、1つ使命を果たせたという思いがあり、その後はけっこう退団を考えていて、そうした時にコロナ禍があって…。 『ロミオとジュリエット』の乳母役も最初はすごく嫌で、これまですごく上級生の方や男役さんが演じられていて、私で大丈夫なの?という思いがありました。でも、役柄的にもジュリエットのそばにずっといるし、大劇場で1人で歌わせていただいたのは、あの時が初めてだったんです。怖かったですけど、お客様や空間が味方だと思えた瞬間があり、1人で頑張らなくていいんだなと思えたのがすごく大きかったです。そこで吹っ切れて、もう一度女優として生きていきたいと思いました。唯一無二の有沙瞳を残して卒業したいと思えたのは、乳母役のおかげです。 ――卒業を決めるときには鐘が鳴るとも聞きますが、有沙さんはいかがでしたか? 有沙:私は池田泉州銀行さんのイメージガールを務めさせていただいていたので、早めにお伝えしなければいけなかったんですね。なので結構前に決めてはいたんですけど、実は退団公演がどの作品になるのかは知らなかったんです。誕生日が8月なので、みんなで誕生日を過ごしたいなと思って、スケジュールを見た時に、この次から私いないかもって思ったんですよね。そこで鐘が鳴っていたのかもしれないです。これ以降、私いる感じがしない、ここかなって思ったら『1789』でマリー・アントワネットを演じさせていただけて…。 ――とても素敵なアントワネットでした。 有沙:今まで頑張ってきてよかったなと思いました。実は私、『THE SCARLET PIMPERNEL』の新人公演で着させていただいた以外、輪っかのドレスを着ていないんです。マリー・アントワネットではずっと素敵なドレスを着ていられたので、娘役として辞められてうれしいなって思いました。 『王家に捧ぐ歌』でのアムネリスもそうでしたけど、すてきなお役をいっぱい演じさせていただけて。礼(真琴)さんともう1度歌いたいと思っていたら『赤と黒』でご一緒させていただけました。組替えして間もない『阿弖流為-ATERUI-』でお世話になったのですが、あの頃は楽しむよりも星組に馴染むのに精一杯で、借りてきた猫状態でした(笑)。『赤と黒』で礼さんとご一緒でき、すべてをすっきり終えられた気がしたんですよね。後悔も何もなくやりきって辞められました。