なぜ立浪監督の中日は失速し、新庄監督の日本ハムは躍進したのか? 広岡達朗は「野球観の差」と一刀両断
自分の信じる野球観を貫くことも必要だろうが、状況に応じて臨機応変に動くことは組織を強くするうえでより重要になってくる。 「選手と監督というのは、まったく違う。野球の知識はもちろんだが、組織をどう動かしていくかは人間力が必要になる。そういう意味で、あえてバカを演じてチームをつくった新庄は立派だった」 来年4年目を迎える新庄監督率いる日本ハムの戦いから目が離せない。 広岡達朗(ひろおか・たつろう)/1932年2月9日、広島県生まれ。呉三津田高から早稲田大に進み、54年に巨人に入団。1年目からショートの定位置を確保し、新人王とベストナインに選ばれる。堅実な守備で一時代を築き、長嶋茂雄との三遊間は球界屈指と呼ばれた。66年に現役引退。引退後は巨人、広島でコーチを務め、76年シーズン途中にヤクルトのコーチから監督へ昇格。78年に初のリーグ優勝、日本一に導く。82年から西武の監督を務め、4年間で3度のリーグ優勝、2度の日本一に輝いた。退団後はロッテのGMなどを務めた
松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin