なぜ立浪監督の中日は失速し、新庄監督の日本ハムは躍進したのか? 広岡達朗は「野球観の差」と一刀両断
話は逸れてしまったが、では立浪監督の采配は、具体的にどこに問題があったのか。 「落合や与田が監督の時は、ベテラン偏重の固定したメンバーだったから新鮮味に欠けるといった声もあったが、勝つためにはベテランの力は必要だし、若い選手も重要になってくる。立浪は若い選手を積極的に使っていたが、ただ起用していただけ。個々の力がまったくレベルアップせず、チームとして機能しなかった。これは監督の責任だ。 監督というのは、責任を取るのが仕事である。立浪は、超名門校でスパルタによる強烈な成功体験が野球人生のベースになっているのだろうけど、それ以外の野球観を磨くことができなかったんだろうな」 広岡は高木守道第一次政権時代(1992~95年)に臨時コーチをやったことがあり、立浪は同じショートというポジションということで目をかけていた。監督になってからも何度か電話をしてアドバイスを送ったが、チームが向上することはなかった。 【監督業に生きたマイナー経験】 その一方で、新庄のことは就任当初から「あれはバカをやっているようで、そうじゃない。きちんと考えているぞ」と評価していた。 立浪との最大の違いは、現役時代に起因する。当時、阪神のスター選手だった新庄は、2000年オフに年俸20万ドル(当時、約2200万円)というメジャー選手の最低保証額の提示を受けながらサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍し、3年目はシーズン半ばでマイナー契約を結び、3Aで過ごしている。 「新庄はあのまま阪神にいたら、スター選手として年俸も何億円という金額をもらえたが、それを蹴ってメジャー挑戦を選んだ。しかも破格の契約金をもらって、専属通訳をつけたわけでもない。3年目にマイナー契約をしてまで3Aでプレーしたというのは、マイナーリーグを勉強したいという表れ。そういった姿勢が、監督業で生きている。 日本ハムの監督に就任して最初のキャンプで、中継プレーを徹底していた点はさすがだと思った。戦力が乏しいチームを立て直すには、まずディフェンスから。新庄はパフォーマンスばかりが注目されているが、ああ見えてきちんと根回ししているからな」