アイルトン・セナ没後30年 「音速の貴公子」の初対面・第一印象は“生意気”だった…F1カメラマンが撮り続けたセナの魅力と苦悩【写真ギャラリー】
1994年5月1日、イタリア・イモラサーキットで行われたF1サンマリノGP決勝。 レース中のクラッシュ事故で、不世出のF1ドライバー、アイルトン・セナ(享年34)が命を落とした。 【画像】初対面は「生意気」だった…セナ秘蔵写真に見る”憂い”の理由 世界中が悲しみに包まれたあの日から30年。貴重な写真の数々と共に、彼の人生と知られざる真実が、今ここに浮かび上がる。 語り手は、日本が誇るF1フォトグラファー、金子博氏。F3時代からセナの姿をつぶさに追い続けたレジェンドだ。 速さと強さの根底にあったものとは?人間・セナの魅力と苦悩とは?各時代を切り取った珠玉のフォトグラフをもとに、金子氏が語り尽くす。
第一印象は“生意気なガキ”
「ほとんどの場面が記憶にあるから、思い出がよみがえってきちゃって、写真の整理が進まないんですよね」 そう苦笑しながら金子氏が最初に披露してくれたのは、海外の墓地の写真だった。 「今から20年前くらいのものですけど、サンパウロの墓地の写真です。この左側のがセナさんのお墓ですね。なんか、普通でしょ?でも、僕はそれがいいなって思ったんです」 「世界的なスターのお墓ですから、厳重に警備されていてもおかしくないんですが、ご覧の通り普通で、誰でも行けるところにありましたから。これを見て安心したというか、『良かった』って思いましたね」 素朴なお墓に、在りし日のセナの面影を重ね合わせ、思い出に浸る金子氏。 セナとの出会いは1983年、F3のレースだったという。当時のセナは23歳。 「出会った頃、彼はまだ『セナ・ダシルバ』という名前で、イギリスF3選手権を戦っていました。この写真は、今はイギリスで解説者をしているマーティン・ブランドルと争っているものですね(編集注:後にブランドルもF1ドライバーに)。当時、セナさんとブランドルはライバルで、バチバチにやりあっていましたよ」 当時から、レース関係者の間で、セナの才能は高く評価されていた。だが、金子氏の第一印象は、決して良いものではなかったと言う。 「初対面の時にいきなり、『俺は絶対にチャンピンになるから、今のうちに俺の写真を撮っておけ!』って言われて(笑)」 無論、チャンピオンとはF3のではなく、F1の世界王者のこと。金子氏はその大口に、呆気にとられた。 「F1を撮りに行ったら、前座レースのF3に乗っている名もなきドライバーから、そんなこと言われたわけですからね。『クソ生意気なガキ!』って思いましたよ(笑)。ちなみにその時、セナさんはハガキにサインをくれたというか、勝手に書いたんですけど、それ、なくしちゃったんですよね。もったいないことしたなぁ(笑)。F1に行く前のサインなんて、なかなかないですからね」 一時は「このクソガキ!」とまで思ったと言うが、一方で金子氏は、セナから並外れた情熱や意気込みを感じ取っていた。 「F3時代から、レースに全てを懸けていました。F1に出ることが目的ではなく、本当にそこでチャンピオンになることしか考えていなかったですから。要するに彼は、ヨーロッパの人たちをやっつけに来ていたんですよ。F1の本流たるヨーロッパの人たちをやっつけるために、ブラジルからやって来た。だから、文字通り真剣だった。他のみんなが竹刀でやっているところに本物の刀を持って来て、それで勝負しちゃうみたいな。だから、(周囲とは)ぜんぜん心持ちが違いましたよね」