「若い頃に置き忘れた人生を取り戻したかった」 相川七瀬さん、40代で見つけた「ロック以外の新しい人生の軸」
■学業と仕事と家庭の両立と葛藤 ――どんなことがキツかったのでしょう? 大学生活の4年間で何がいちばん大変だったかというと、やはり、仕事との両立でした。大学2年時は、ミュージシャンとしては25周年で全国ツアーも回っていたから、とにかくスケジュールがハードだったんです。 大学に行くにあたって家族に相談していたんですけど、当初は「本当に大丈夫なの?」という反対意見もありました。最終的には理解してもらったものの、「行かせてもらっている」という思いがどこかにあったんですよね。決めたからには後には引けない、絶対に4年で卒業しなきゃという意地がありました。でも、仕事もきっちりやらなきゃならないし、家庭のことも頑張らなきゃいけないと。
――全てに手を抜けなかったんですね。 家族は協力的でしたけど、自分で自分を追い詰めてしまっていたんです。自分でなんとかしよう、睡眠時間を削って乗り切ろうとしていたけど、歌い手としてはコンディションも整えなくちゃならない。25周年ツアーの時はもういっぱいいっぱいでした。それでも、仕事と家庭と学業と3つをやり切るんだという精神力だけで突き進んだ結果、いちばん辛かった年の成績が1位だったんですよ。これは本当に自分の努力が報われた気がして、素直にすごく嬉しかったです。
――ちなみに、神道を学ばれ、研究されているわけですが、そもそもロックミュージシャンだった相川さんがなぜ神道だったのでしょうか? ここ10年以上、神社の神事で歌わせていただいたり、赤米大使(長崎県対馬市、鹿児島県南種子町、岡山県総社市の3地域に伝わる赤米神事の伝統文化を広めるために活動する大使)をやらせていただいたりもしていることもありますが、実は最初に神道に興味を持ったのは、25年以上も前のことです。23歳くらいの時かな。
――それはだいぶ早いですね。きっかけは何ですか? 23歳の頃、イギリスに数カ月間、ホームステイ留学していたんです。ホストファミリーは日本人のご家庭だったんですけど、私が帰国する時に一冊の本をくださって。それが神道の本でした。かつて春日大社の葉室頼昭さんが書かれていた『〈神道〉のこころ』という本。 「あなたはアーティストだから英語はしゃべれたほうがいい。でも、もっと大事なのは日本語だ」という言葉とともに、この本を渡されて。この本には、神道や神話のこと、母国語をきちんと理解して話すことの大切さについても書かれているんですよね。帰りの機内で読んで、もう感動しちゃって!