【なぜ?】真面目な女性教師(26)が“2歳年上の内縁夫”をバラバラ殺人…彼女の母親も「共犯者」になったワケ(1953年の事件)
〈【足立区バラバラ殺人】生徒から人気の女性教師(26)が警察官の夫(28)を殺害→世間からも同情を集めたワケ(1953年の事件)〉 から続く 【女性教師の顔写真も…】「夫を殺してホッとした」26歳の女教師の写真をすべて見る 1952年5月に東京の足立区で起きた、警察官バラバラ殺人事件。犯人は内縁の妻で小学校の女性教師だった。勤務ぶりは真面目、生徒からも慕われていた彼女はなぜ殺人を犯したのか? 背景には彼女が夫から受けた、ひどい仕打ちの数々があった…。 新刊『 戦後まもない日本で起きた30の怖い事件 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全3回の2回目/ 最初 から読む) ◆◆◆
拳銃を奪われたことも…あまりにずさんな勤務態度
勤務を終えるとすぐ酒に走り、酔うと暴れ出す。富美子は知らなっかったが、同棲前には飲み屋で客と口論となり、格闘した挙げ句に拳銃を奪われるという失態を犯していた。幸い、銃は見つかり大事には至らなかったものの減給処分になり、同棲を始めた当初はその素行の悪さから解雇寸前だった。 伊藤は給料の半分しか家に入れず、女遊びにうつつを抜かし外泊することもしばしば。借金も抱えており、後に判明したところ、その額7万円(現在の貨幣価値で約280万円)。そんな状態で富美子が憧れていた結婚式を挙げられるわけもなく、本人もその気配すら見せなかった。 当初の想像とはまるで違う同棲生活を送るなか、ほどなく富美子の母シカと弟が上京。同居生活が始まる。今後は2人の面倒もみなければならない。伊藤とこのまま暮らしていれば破綻は明らか。そこで彼女は決心を固め別れ話を切り出す。と、伊藤は「そんなことを言うなら殺してやる」と拳銃を持ち出し、「逃げても絶対見つけ出す」などと脅してきた。 素行が悪く解雇寸前とはいえ、肩書は警察官。だが、内縁の妻と別れるとなれば、いよいよクビを告げられるかもしれない。伊藤は今の立場を守るためにも、富美子との別れは絶対避けねばならなかった。一方、富美子は警察を解雇されたら本気で自分の命を奪いに来るかもしれないと恐れた。同居する母や弟のことを考えても、これ以上別れ話はできないとあきらめる。 こうしてずるずると冷え切った同棲生活を送り1年以上が経過した1952年5月7日、伊藤は21時ごろに泥酔状態で帰宅する。が、その日は22時から夜勤が入っていた。制服に着替えることもままならない状況で、富美子は思わず「どこでそんなに飲んできたの!」と叱責してしまう。これに伊藤は「どこで飲んでこようが俺の勝手だ! 生意気言うな!」と怒鳴り返し富美子に手をあげた。