【越境攻撃を「挑発」と形容】自国領土占領の“失態”にプーチンの不自然な言葉選び、国民より占領拡大を優先する冷徹戦略も
ソ連時代を通じて初めて外国軍に占領
しかし、クルスクの置かれた状況は、決して甘いものではない。ウクライナ軍がクルスクに進軍した事実が明らかになったのは8月7日のことだが、ゲラシモフ参謀総長は当初、約1000人の兵士が越境攻撃をしかけ、進軍を食い止めたもののウクライナ兵が残っているため掃討作戦を続けている――という内容の報告を行っていた。しかし実際には、ウクライナ軍は翌8日までには約100平方キロのロシア領を占領し、さらにロシア軍兵士数百人を捕虜にした実態まで明らかになっていた。 ウクライナ軍はその後も進軍を続け、約1カ月後の9月6日の時点では、ゼレンスキー大統領が約1300平方キロを制圧したと発表。ロシア側に入ったウクライナ軍兵士は1万人を超えたと主張し、その事実をロシア側も認めた。 報道によれば、ウクライナ軍は国境から30キロ程度の距離まで進軍したとみられている。さらに、ウクライナ軍は制圧地域内に軍司令部まで設置した。 ロシアが自国領土を外国軍に占領されたのは、ソ連時代を通じても初めてのことで、プーチン氏の〝失態〟であるのは明らかだった。通常であれば、政権や軍の責任を問う声が国内で一気に広まっても不思議ではない。 しかし、一部の強硬派がさらなる反撃を主張した以外は、目立ってそのような事態に陥ったとの状況は確認されていない。背景にはロシア国内における情報コントロールと、中央と地方のいびつな関係がある。
1万5000円の〝支援金〟
ロシア国内ではどのような対応がとられたのか。ウクライナ軍の越境攻撃が公になった8月7日、クルスク州では非常事態が宣言され、10日にはクルスク周辺を含む3州で「対テロ作戦」の実施が表明された。 実態は「戒厳令」に近いが、政権はそれ以降も、戒厳令という言葉は使わなかった。国内の動揺や政権への批判を避ける狙いがあるとみられている。 前線から避難を強いられた自国民に対して政府から支払われた支援金はわずかなものだった。報道によれば、避難民一人当たりに支給された額はわずか1万ルーブル(約1万5000円)に過ぎなかったという。物価が安い地方住民とはいえあまりに少額だと言わざるを得ないが、支援は連邦レベルで行われたにも関わらず、この金額だった。 国境を守るロシア軍兵士が未熟な若い兵士ばかりで、ウクライナ側が容易に捕虜にしたことは日本のメディアでも広く報じられた。しかし軍だけでなく、自治体も住民を守るという観点で準備をしてこなかった実態も浮かび上がっている。 さらに、クルスク州のスタロボイト知事は3月の大統領選後に交通大臣に任命されており、今回の問題は知事代行が対応していた。9月の知事選を前に、知事代行にとり最重要の課題は〝中央政府に面倒な問題を起こさない〟ということであり、結局は住民支援という観点でも過度な対応はしないという判断にいたったもようだ。