【闘病】“後縦靭帯骨化症”と告知。「病気と闘う気力は残っていない」と思いながらも続けた闘病生活
複数の病気を抱えた闘病期間中に違和感を抱き、難病である「後縦靭帯骨化症」と診断された「mico」さん。当時はうつ病での闘病中でしたが、SNSでの交流や短歌といった趣味・特技を持ち、前向きに過ごされていました。 ですが、告知を受けて一度は絶望を感じたそうです。そんなmicoさんが「日々の生活がリハビリになっています」と語り、力強く生きるに至るまでのお話をお聞きしました。 ※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年11月取材。 [この記事は、Medical DOC医療アドバイザーにより医療情報の信憑性について確認後に公開しております]
人生で2度目の難病に。生きる気力を失う日々
編集部: micoさんの経験した後縦靭帯骨化症とはどのような病気ですか? micoさん: 「後縦靭帯骨化症」は、脊椎に囲まれている脊柱管の前方を縦に走る後縦靭帯が骨化し、脊柱管の内部の神経根が圧迫されて感覚障害や運動障害が生じる難病です。進行すると手足の麻痺が進行し、歩行障害や排尿・排便障害も起こります。 編集部: 最初に症状が現れたのはいつ頃ですか? micoさん: 2021年の春頃です。当時の私はうつ病で闘病中でした。最初は突然の首の痛みから始まり、肩こりか寝違えだと思っていました。しかし、徐々に痛みがひどくなって鎮痛剤も効かず、手のしびれ・倦怠感・食欲不振・疲れやすさを感じ始めました。 さらに、頭が割れるかと思うほどの頭痛と吐き気も起こり、整形外科を受診したのが最初のきっかけです。 編集部: 診断はすぐにはつかなかったと伺いました。 micoさん: 最初の診断は「頚椎椎間板ヘルニアと変形性頚椎症」でした。神経ブロック注射と鎮痛剤、ビタミン剤を処方してもらい、首の牽引も行いました。 しかし、それらの処置の効果は一時的にしか続かず、「本当にヘルニアだろうか」と疑問に思い、インターネットや文献で調べ始めました。 編集部: 調べている間も大変だったのではないでしょうか? micoさん: そうですね。当時は「副腎機能不全」や「シェーグレン症候群」「重症筋無力症」などいろんな病気を疑いました。しかし、いろんな検査を行っても確定診断ができず、時間が経つほど症状も悪化していきました。 スプーンやフォークが使えなくなり、起き上がりや立ち上がりにも苦労するようになった頃には、体重が20㎏ほど減少していました。確定診断を受けたのは、神経内科で精密検査を行ってからのことです。 編集部: 後縦靭帯骨化症と診断された時の心境を教えてください。 micoさん: 診断されて最初に思ったことは「また病気か。それも、人生で2度目の難病になってしまったか」でした。実は若い頃からいろんな病気に罹患しており、「特発性血小板減少性紫斑病」「子宮頸がん」「甲状腺機能低下症」「うつ病」を経験しています。 今回の後縦靭帯骨化症も手術が非常に難しく、治らないかもしれないと言われたときに地獄の底に突き落とされたような絶望感を味わいました。 編集部: 後縦靭帯骨化症ではどのような手術を経験されたのですか? micoさん: 先生からは「原因部分である脊柱管を広げ、骨に扉を開けるような手術を行い、そして骨にスクリューを打ち込む」といったことを丁寧に説明されましたが、素人の私には理解できないものでした。総合病院で手術したのですが、大体11時間かかったそうです。 編集部: 手術後は大変だったのではないでしょうか? micoさん: 私もまるでのたうち回るような痛みを想像していたのですが、それほどでもなくてホッとしました。首の傷は20cmほどで、傷口もテープを貼って回復を促したので抜糸もありませんでした。 編集部: 手術後はどうでしたか? micoさん: 約半年の入院生活でしたが、トイレでの下着の脱ぎ着やペットボトルの蓋を開けること、入浴に至るまで看護師さんの介助が必要でした。 体が思うように動かないこと自体がストレスになり、肌はボロボロ、全身に湿疹も出るほど疲れ果てていました。リハビリを本格化させたのは、リハビリ専門の病院に転院してからです。