尾崎世界観が「こんなの誰が読むんだろう?」と思いながらも小説を書く理由【二度の芥川賞候補、作家兼ミュージシャン】
小説にもその感覚があって、これが1行目だと思って書いても、あとから違うものになるかもしれないというのは常に意識しています。 これまでもほとんどの作品で、1行目を変えたり、その前に何か書き足したりしています。今回の『転の声』の場合は、いきなり冒頭から変わっています。書いたものを入れ替えることにはあまり抵抗がないんです。 ――書くことに対して自意識が邪魔をすることはありませんか。読み手がどう思うかや、うまい文章だと思われたいとか。 めちゃくちゃありますね。でもそれがないと心配です。 書きながら「こんなの読んで誰が喜ぶんだろう」と思う瞬間が絶対にあって。『母影』の時も何のために書いているんだろうと思うことが何度もあったし、今回の『転の声』では特にそれが多かった。 その一方で、こんな小説はまだ誰も読んだことがないはずだから、早く世に出したいという思う。その波が相互にくるんです。 最終的に、「こんなの読んで誰が喜ぶんだろう」と思う回数を、「これは面白いだろう」という気持ちが上回ればいいだけです。「こんなの読んで誰が喜ぶんだろう」と100回思っても、101回、早く読ませたい、これは面白いはずだと思えたら、それは絶対にいい作品に違いない。 ● 自分が不安に感じるような作品で なければ出す意味がない 最初から最後まで「これはいいだろう」と思って書き切れるものというのは、もしかしたらすでに誰かに書かれているものかもしれない。「これはいい」と感じるのは、自分がすでにそれを知っているからなのかもしれない。自分がどこかで読んだことがあったり、触れたりしたものだから、違和感なく、疑いなく書き切れるのかもしれない。 むしろ、「これで大丈夫かな」と思う回数が多ければ多いほど、その作品の強度は増していくと思っています。そういった意味では、これまで書いた小説の中で、『転の声』は「これで大丈夫かな」と思う回数が一番多かった。 これだけたくさんの小説がある中で、ちゃんと「これで大丈夫かな」と不安になるくらいのものでなければ、わざわざ苦労して世に出す意味はないと思っています。 PROFILE 尾崎世界観(おざき・せかいかん) 1984年生まれ。東京都出身。2012年ロックバンド、クリープハイプのヴォーカル兼ギターとしてメジャーデビュー。12月4日にニューアルバム『こんなところに居たのかやっと見つけたよ』を発売。執筆活動も行い、16年小説『祐介』(文藝春秋)で小説家デビュー。20年に『母影』、24年に『転の声』で芥川賞候補となる。
ダイヤモンド・ライフ編集部