自民大敗でラピダスとTSMCが直面する「2つの権力崩壊」
10月の衆議院選挙で、自民党は歴史的な大敗を喫した。議席数は191と2009年以来の200議席割れだ。11月11日からの特別国会では自民党の石破茂総裁が引き続き首相に選ばれる見通しだが、自民は少数与党として厳しい国会運営を強いられることが確実だ。 これによって急速に不透明感を増しているのが、「異次元」と呼ばれる規模に膨張していた半導体政策の行方である。 ■「半導体議員」が大量落選 今回の衆院選では「半導体政策の最高司令官」である重鎮議員が落選した。甘利明氏である。甘利氏は自民の半導体戦略推進議員連盟(半導体議連)の会長を務め、経済産業省と夫唱婦随で巨額の補助金政策を推進してきた。 甘利氏は今回の選挙で14回目の当選を目指したが、野党・立民の新人候補に選挙区で敗退。比例重複もなく落選となった。2021年の前回衆院選でも、現職幹事長でありながら立民の新人候補に敗北(比例で復活当選)しており、政治関係者の間では「選挙に弱い重鎮」として選挙前から不安視されていた。 さらに甘利氏以外にも、半導体政策に長く関わってきた自民党議員が「大量落選」している事実がある。 前述の半導体議連は菅義偉政権当時の2021年5月に、安倍晋三氏と麻生太郎氏を最高幹部、甘利氏を会長として発足した。「3A」と呼ばれる重鎮3人が揃うこの議連に参加した議員は、発足当時で衆参合わせて総勢102人に上っていた。自民党の議連の中でも近年最も多くの議員を集め、鳴り物入りで発足した議連だった。 この102人のうち、今回選挙の公示前まで衆院議員だったのは54人。だがこのうち15人が、今回の選挙で落選した。また2人は自民の裏金スキャンダルで出馬できなかった。この結果、54人のうち3割超が衆議院から姿を消しており、今回選挙で自民が議席を失った比率(22.7%)を上回っている。当選に至らなかった半導体議連の前衆議院議員は以下の表の通りだ。 ■来夏まで半導体政策は波乱含み 無事に当選して生き残った議連メンバーの中には、岸田文雄前首相(議連の顧問)や小林鷹之氏(同事務局次長)、関芳弘氏(同事務局長)など重要人物も多い。 だが政治においては、数こそが本質的な力。議連メンバーを含む議員が大量落選し、自民党が少数与党となった今、政策実現においては野党の声が無視できない圧力となる。安倍政権以来、自民一強だった政界のパワーバランスが大きく崩壊しているのだ。 自民党の選挙対策に長年携わってきた久米晃・元自民党本部事務局長は、「過去の選挙結果を踏まえると、自民が衆院選で敗退した場合、その次の参院選後に政権交代が起こってきた。今回の場合は来年7月に予定されている参院選に向け、野党が国会で政策議論やスキャンダルを通して自民を徹底的に追及してくるだろう」と指摘している。 立民のベテラン議員も「政権交代を仕掛けるのは、来夏の参院選で十分に議席を獲得してからだ。来夏までに国会でどこまで自民を追い込められるかが我が党の趨勢を決める」と話す。 この流れの中で、半導体政策のあり方が改めて国会で議論される可能性がある。甘利氏らが経済産業省の野原諭・商務情報政策局長とタッグを組んで推進してきた半導体政策は、ラピダスとTSMCを中心とする特定企業への巨額支援であるからだ。 まず高い確率で厳しい状況に陥りそうなのはラピダスだ。 ■ラピダスの「関門」は2025年1月 自民は本来、いわゆる「ラピダス支援法案」を今年末の臨時国会で成立させるつもりだった。ラピダスにはすでに研究支援等の名目で1兆円に迫る公的支援が実施されているが、2027年に2ナノメートルの量産化を実現するには、さらに4兆円の投資原資が必要。原資の財源は補助金だけでなく民間融資に対する政府保証も検討されているが、いずれにしても支援法案が成立しなければ、特定企業への複数年度に及ぶ巨額支援は行えない。 だが総裁選とそれに続く総選挙によって政治の流動性が高まった結果、支援法案の年内提出は見送られた。現時点では新年1月の通常国会での成立がターゲットとなっている。この成立の行方が事実上、野党の姿勢次第となりつつある。 現時点では第一野党の立民と、今回選挙で躍進し政局のキャスティングボートとなった国民民主党は、ラピダス批判を明確には打ち出してはいない。だが両党が公約で掲げている経済政策は総じて、社会保険料の軽減や教育無償化など家計に直結するものである。特定企業への巨額支援を目指すラピダス支援法案と比べ、どちらが広範な有権者にアピールできるかは言うまでもない。 参院選に向けたムードの中で、さらに甘利氏や議連メンバーのような推進役を欠いた中で、ラピダス支援法案成立が政治的な優先順位としては劣後するのは明らか。さらには、「国民生活が苦しい中で、特定企業への巨額支援を行う妥当性はあるのか」が正面から議論される可能性もある。 ■ラピダス株主が無関心なワケ ラピダスの大口株主はトヨタ自動車(7203)、ソニーグループ(6758)、ソフトバンク(9434)など大手上場企業8社(合計出資額73億円)である。ラピダスへの公的支援に不確実性が高まっている状況を、株主企業はどう見ているのか。 株主の1社の取締役は、匿名を条件にこう冷ややかに語った。「当社の取締役会では元々、ラピダスは議論の対象にもなっていない。仮に政治的な理由でラピダスが頓挫しても、ラピダスへの出資額は一桁億円に過ぎない。減損処理をしたところで経営へのダメージはほとんどない」。 これは企業統治としては、異常な状況である。ラピダスを所有しているはずの大口株主が、「資金調達や企業としての存亡がどうなっても構わない」と考えているのだから。資本面でのガバナンスがそもそも存在しなかったラピダスが、自民政治という事実上のオーナーシップをも欠いてしまえば、後は漂流しかないのかもしれない。 ではラピダスと並び、半導体政策のもう一つの柱であるTSMCへの支援はどうなるのか。 TSMCはすでに熊本県菊陽町で第1工場を稼働させており、九州全域に大きな経済効果をもたらしている。近く着工する第2工場にも、すでに補助金支出が確定している。衆院選の結果では、TSMCが進出した熊本県では4選挙区すべてで自民党議員が大差をつけて当選している。熊本地域の有権者は現時点、自民党の政策を支持しているわけだ。 だが特定企業への巨額支援という点では、TSMCの工場誘致政策もラピダスと本質的には変わらない。TSMCに対し日本政府がすでに実施した補助金額は約1兆2000億円に上る。この金額は、複数の野党議員が公約に掲げている児童手当の拡充に必要とされる予算(約1兆5000億円)に迫る規模である。 ここで特定企業への支援の是非という「そもそも論」を持ち出しそうなのは、野党だけではない。半導体政策を巡ってはもう一つ、パワーバランスが崩れたものがある。それは経産省と財務省の関係だ。 異次元の半導体政策が生まれた土壌は、安倍政権下での自民一強の中で、経産官僚が政策への絶大な影響力を得たことである。他方で安倍元首相が、財政規律を重視する財務官僚を遠ざけたことはよく知られている。 だが岸田前首相が内閣の主要メンバーに元財務官僚を登用するようになり、財務省は次第に発言力を回復するようになってきた。そして今回自民が大敗し、経産省にとっての政治的な後ろ盾が弱体化した今、財務省の復権はさらに進む見通しだ。 「半導体支援等の産業政策については、取捨選択が重要」「補助金ばかりに頼るべきではなく、民間の自律的な投資を促進していくべき」。これは衆院選後の11月1日に開かれた財政制度等審議会(財務大臣の諮問機関)で、有識者が述べた言葉だ。エコノミストらの発言ではあるが、財務官僚にとっては常識にも等しい指摘であり、財務省の立場を事実上代弁している。 ■「役人が成長分野を選ぶな」 同審議会が4月に示した資料では、日本政府の半導体支援額はすでに3.9兆円に上り、GDP(国内総生産)の0.71%を占めている。この比率は、アメリカの0.21%、ドイツの0.41%を大きく上回る。これほど大規模で複数年度に及ぶ財政支出が、中長期的な財源の確保を議論せず、緊急対策として繰り返し補正予算から捻出されていることを、財務省は強く問題視している。 加えて財務省はそもそも、政府が特定産業を成長領域と定め、個別企業を特に支援すること自体に反対だ。7月に退任した神田真人・前財務官は、月刊誌への寄稿で以下のように指摘している。「役人が成長分野を選定して、補助金等を通じて投資を誘導することは、非効率な投資を助長するリスクもあり、謙虚に、慎重に考えるべき」(文藝春秋9月号から引用)。 こういった財務省の復権が、経産省が政治と二人三脚で推進してきた半導体政策にどう影響するだろうか。 近年の半導体政策に関わってきたある経産官僚は、次のように語る。「財務省も半導体政策ではポイント・オブ・ノーリターンを超えている。すでに4兆円近くもの予算を認めてしまったのだから、今さら財務省が政策に異議を唱えれば、自分たちが批判を浴びるだけだ」。しかし財務官僚からしてみれば、「抱きつき心中」のような経産官僚のやり口がまずもって不快である。事態は経産官僚が楽観視するようには進まないのではないか。 ■台湾「TSMC第3工場は可能性下がる」 半導体政策の行方はこれから、国内政治の論点の一つになるだけでなく、対外的にもアメリカと台湾から動静が注視されそうだ。 元々半導体政策は、米中対立を受けた経済安全保障戦略の重要部分として浮上した経緯があり、アメリカと情報共有しながら進められてきた。特にラピダスについては、IBMからの技術供与を受け、アメリカの半導体スタートアップを顧客に抱えており、アメリカに直接の利害関係者がいる。 このためブルームバーグ・ニュースは衆院選での甘利氏落選について特に報じ、「半導体産業振興の旗振り役が不在になる。半導体サプライチェーンへの多額の補助金が(今後の政策に)盛り込まれるか不透明」と懸念を示している。 また台湾にとっても、TSMCの投資に対する支援がどうなるかという懸念がある。 衆院選翌日の10月28日に台北で開かれたフォーラムで、台湾の与党・民進党の郭国文立法委員(国会議員)は次のように指摘している。「自民の敗北が台湾との半導体協力にどう影響を与えるか、十分に注視する必要がある。野党は政府の巨額の補助金に反対しているため、TSMCが日本に第3工場を建設する可能性は大きく下がりうる」。 さらに郭氏は、「自民一強はもはや過去のものである以上、台湾は多方面で良好な関係を築くことが重要」との考えを示している。台湾の政界が、これまで縁の薄かった日本の野党とも交流を深める可能性を示唆している。半導体政策の行方は、日本を取り巻く国際関係にも影響を及ぼしそうだ。 杉本 りうこ/フリージャーナリスト。兵庫県神戸市出身。北海道新聞社記者を経て中国に留学。その後、東洋経済新報社、ダイヤモンド社、NewsPicksを経て2023年12月に独立。 ※当記事は、証券投資一般に関する情報の提供を目的としたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。
杉本 りうこ