『マトリックス』『ハリー・ポッターと賢者の石』『ダンケルク』…日本の予告編キーマンが語る、予告編とハリウッド映画の変遷
ハリウッドの老舗メジャースタジオ「ワーナー ブラザース」の日本支社を四半世紀以上にわたって支え続け、遂に現役を退いた一人の女性がいる。「ワーナー ブラザース ジャパン」の前身である「タイム ワーナー エンターテイメント ジャパン」が創立される前から38年間ずっと、ワーナー作品のクリエイティブに携わり、つい先日に定年退職を迎えた中村香織だ。転職や転社が当たり前のこの時代において、まさにワーナーに骨を埋めたという形容がぴったりくるクリエイター。MOVIE WALKER PRESSでは、長年にわたりワーナーの映画を見つめ続けてきた中村にインタビューする機会に恵まれた。 【写真を見る】一番苦労したのは『ハリー・ポッターと賢者の石』!?ワーナー映画の予告編担当が明かした当時の秘話 ■「ワーナーはクリエイターをとても大切にするスタジオ」 「ずっとクリエイティブだったわけじゃないんです。大学卒業後は映画とはまるで関係ない会社に勤めていて、朝日新聞の求人欄にワーナー ブラザースの宣伝マン募集が出ていたので応募しました。でも宣伝枠はすでに埋まっていて、残っていたのは秘書枠。“秘書はまず向かないだろう”という顔をしていた私に面接官の宣伝部長が『中村くん、入ってしまえばこっちのもんだから』と言ってくれて、俄然やる気になり入社しました。思ったとおり秘書は私の性には合いませんでしたが、2年後に組織変更があり、予告編担当がいないというので『やってみたい!』と申し出ました。実のところ、私がワーナーに入ったのは、予告編を作りたかったからなんです」。 子どものころから映画、とりわけ洋画が大好きだったという中村。観るだけではなく撮るという夢もあり、大学4年生の時に休学し、親の大反対を押し切り、スパイク・リーやマーティン・スコセッシを輩出した名門ニューヨーク大学の映画学科に入学。課題で撮った16mmの短編が教授の目に留まり「奨学金を出すからあと1年間、勉強しないか?」と声をかけられたという。 「でも、ニューヨークに行く時、お金を出してくれた両親に“1年で帰る”という誓約書を書かされていたので泣く泣く帰国しました。だから、ニューヨーク大学での経験を活かせる予告編制作は私の夢だったんです」。 中村が予告編に目覚めたのは、『戦場のメリークリスマス』(83)や『エンゼル・ハート』(87)の予告編だったという。 「それらの映画の予告編を劇場で観て、日本の予告編ってなんてすごいんだろうと思っていました。アメリカなどのものに比べると、もう芸術品クラス。そういう作品を自分も手掛けることができるかもしれないと、夢が膨らみましたね」。 念願のクリエイティブに移って最初の予告編はおなじみのホラーシリーズ『エルム街の悪夢3/惨劇の館』(87)だった。 「うれしいことに評判は上々でした。その当時、映画の予告編大賞を決めるバラエティ番組があって、その年に作られた映画の予告編のなかから優秀賞を選ぶんです。88年には『太陽の帝国』、次の年には『フォエバー・フレンズ』と、私たちが作った予告編が2年連続で大賞に輝いたんです。ベスト10にはワーナーの作品がたくさんランクインして、単純な私は“この仕事は天命だ!”とまで思っちゃいました。当時の部長からは『“豚もおだてりゃ木に登る”だな』と言われましたけどね(笑)」。 当時のワーナーは、まだ日本支社がなかったウォルト・ディズニー作品の配給も請け負っていて、『フォエバー・フレンズ』もディズニーの作品だ。 「『プリティ・ウーマン』(90)や『リトル・マーメイド』(91)の予告編も作りました。ディズニーの日本支店ができたのが『美女と野獣』(91)以降でしたから、それ以前はワーナーが委託配給していた時期があったんです。ワーナーもディズニーも日本オリジナルの予告編を作ることを許してくれていて、ディズニーは『なるほど!日本はこんな予告編を作るんだ』とリスペクトしてくれたのはうれしかったですね。でも当時、ワーナーはディズニーほど優しくはなかったんです」。 ワーナー映画の大きな特徴の一つといえるのが、いわばクリエイター主義。才能豊かな監督との関係性に重きを置き、彼らをサポートしつつ長きにわたってコラボレーションを続ける場合が多い。古くはスタンリー・キューブリックやクリント・イーストウッド、最近ではザック・スナイダーやクリストファー・ノーラン、ウォシャウスキー姉妹など、彼らの作品を提供し続けていた。 「ワーナーはクリエイターをとても大切にするスタジオです。私はオリバー・ストーンの『JFK』(91)、ウォシャウスキー姉妹の『マトリックス』(99)、近年だとノーラン作品やトッド・フィリップスの『ジョーカー』(19)など、アーティストを大切にしたからこそ生まれた傑作だと思っています。 なので本社は、私たちが作った日本の予告編も全部、彼ら監督にチェックしてもらっていた。作品にもっとも思い入れが強い人だからなかなかOKが出ないのは当然です。でも、だからこそ許可が下りた時の喜びは大きかった。 そもそも私、そういうアーティスト至上主義的なワーナーの気質が大好きなんです。しかも『ジョーカー』なんて、メジャースタジオっぽくない作品なのに、堂々とメジャーの大作として売っちゃう。そういうところにも気概を感じるし、私にとってワーナーってホント、かっこいい映画会社(笑)。これは間違いなく、私が長く勤められた大きな理由の一つですね」。 ■「世界最高の監督たちの撮った映画が、私にとっては“素材”。それを自由に料理できる、最高に贅沢な仕事」 そんな中村にもっとも大変だった仕事を尋ねると「うーん…。どの仕事も楽しかったので、苦労したという感じ、本当にないんですよ」と言いつつ、敢えて挙げてくれたのが『ハリー・ポッターと賢者の石』(01)だ。 「結果的に興収200億円を超えた超大作を、当時クリエイティブアシスタント(現在はアシスタントマネージャー)の遠藤(有樹)くんと私の、たった2人でやったからです。本当に残業ばかりだった!毎週、新しいTVスポットを流していましたからね。東京国際フォーラムで開催する初めての映画の試写作品が『ハリー・ポッター』になり、私たちは当日、押しかけるだろうファンの映像を撮ろうと待ち構えていました。ところが、撮影を始める5分くらい前に突然、腹痛が襲い、トイレに駆け込んだらそのまま倒れちゃったんです。そんな私を遠藤くんが病院まで運んでくれたのですが、なんと緊急手術になってしまって…。健康だけは自信があった私もさすがに驚き、遠藤くんもびっくりして、その時初めて2人して泣いちゃいました。手術するので泣いたわけじゃなく、病気に気づかないくらい忙しかったんだということで泣いちゃったんです」。 ちなみに、この事件のせいでクリエイティブ部署に2名を投入することになったという。中村曰く「私が命を懸けて人員を増やしたんです!(笑)」。 では、もっとも楽しかった仕事はなんだろう? 「やっぱり『マトリックス』ですね。この作品は映画を超えた映画。現実の世界をひっくり返すようなパワーがあって、観終わった特に『これってリアルな話なのでは?』なんて考える人が出てきても不思議じゃないと思いましたから。そんな作品にコピーライターさんが“なぜ 気づかない”という最高のコピーを考えてくれたので、その時にすでに『やった!』という確信を持ちました」。 『マトリックス』の日本での興収は87億円。中村の予想どおり、大ヒットして社会現象にまでなった。言うまでもなく、彼女の作った予告編は、その数字と現象に大きく貢献している。 「そんな作品の予告編を作るのは、本当にワクワクでした。“なぜ 気づかない”というコピーをとても小さいフォントにしようと思っていたのに、出来上がったのはちょっと大きい文字。私、作ってくれた(VFXスーパーバイザー・予告編ディレクターとして知られる)佐藤(敦紀)さんに食ってかかっちゃって。もう一つ、ケンカしたのがナレーションの言葉。『残念ながらマトリックスの秘密を語ることはできない。自分の目で確かめろ』というものなんですが、“語る”にするか“話す”にするかでも佐藤さんと大ゲンカ。いまは佐藤さんの“語る”にしてよかったと思っていますけど、当時は私も譲らなくて。佐藤さんとはホント、どれだけケンカしたかわからないくらいやりあいました(笑)」。 『マトリックス』の予告編の最後に流れるシブいナレーションを担当したのは、俳優の遠藤憲一。当時映画の広告関連の仕事はしていなかった遠藤を、いち早く予告編のナレーションに起用したのだ。 「ケビン・コスナー主演の『メッセージ・イン・ア・ボトル』(99)の予告編ナレーションを頼む時、6 人の方の声のサンプルをいただいて、そのなかの一人が遠藤さんでした。低い声がとても印象に残っていたので、結果的に『マトリックス』でお願いしたんです」。 また、『マトリックス』には後日談もある。 「プロデューサーのジョエル・シルバーが来日した時、日本のTVスポットをとても気に入ってくれました。彼に『オレの作ったスポットを見てくれて』と言われて見たんですが、いいシーンを使いすぎていてスポットとしてはイマイチ。私は正直なので『すごい』なんておべんちゃらも言えず、笑ってごまかすと、『お前の作った予告編を全部見せろ』って。もしも気に入られて『アメリカに来い』とか言われたらイヤだなと思っていたら、なにもなくて安心しました(笑)」。 中村が「アメリカに行くのがイヤ」だったのは「日本のワーナーで仕事をしたかったから。だって、世界最高の監督たちの撮った映画が、私にとっては“素材”になり、しかもそれを自由に料理できる。最高に贅沢な仕事だと思いません?」。 ■「アメリカがずっと日本独自の予告編を作らせ続けてくれたのは、私たちが本社を一度も失望させたことがないから」 そんな自由な宣伝として、もう一つ記憶に残っているのがクリストファー・ノーランの『ダンケルク』(17)だという。 「『ダンケルク』は、映像だけを観ると戦争映画なんですよ。それだと人を選ぶし、映画の特異性が伝わらない。体感も時間感も特殊な映画なのだから、それを伝えるためにはどうすればいいか?マーケティングチームの中でミーティングを重ねた結果、オピニオンとなるような映画監督や俳優を起用して、作品について語らせるというCMを作りました。オピニオンの起用自体は新しくはないですが、私たちが考えたのは“体験してもらう”こと。劇場から出て来たばかりところでマイクを向け、『凄い体験だった。鳥肌もの!』など実感コメントを言ってくれる様子をiPhoneで撮影したような臨場感で演出したんです。これは新しかったと思います」。 中村の予告編を手掛けるうえでのポリシーは「宣伝コンセプトをもっとも効果的かつ驚異的に表現した、“感じる”予告編を作る」こと。そして絶対に譲れないのは「その予告編は自分のベストか?」だという。 そんな厳しいルールを課し、自ら超えてきた中村の引退直前に完成したのが、公開中の『ツイスターズ』の予告編だった。この予告編から“中村イズム”を引き継いだ若手のクリエイターたちの仕事が見て取れる。 「日本は自然災害の多い国なので、そういうことを想起させないために竜巻をモンスターにたとえ、人類が現代の最強のモンスターに挑むというようなコンセプトに変更されています。キャッチは“地球が生んだ最強のモンスター”。これもアメリカとはまるで異なる宣伝なんです。最近は、監督のOKだけじゃダメで、リサーチ結果もよくなければいけない。ハードルが高くなりましたが、それでもNGはなく、『ツイスターズ』も見事、合格しました」。 本作の製作総指揮はスティーヴン・スピルバーグ、VFXはILM(インダストリアル・ライト&マジック)の「ジュラシック・ワールド」チームなので、そこを強調した、まさに新しいモンスター映画というわけだ。ちなみに本作は米国の週末興収で1位を記録し、さらに2024年のオープニング興収3位にランクインするなど、文字どおりモンスター級の大ヒット。日本でのヒットも期待されている。 「今年のワーナーはティム・バートンの『ビートルジュース ビートルジュース』(9月27日公開)があり、“ジョーカー2”にあたる『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』(10月11日公開)もある。どれもワーナーらしい作品で、私の後任者たちがそれをちゃんと日本人の感性に合わせた予告編にしています。アメリカがこれまでずっと日本独自の予告編を作らせ続けてくれたのは、私たちが本社を一度も失望させたことがないからだと自負しています」。 中村が映画に目覚めたのは小学6年生の時。『小さな恋のメロディ』(71)を観て「イギリスという国、ビージーズの音楽、そしてメロディを演じたトレーシー・ハイドに夢中になり、未知の世界を体験させてくれる映画という魔法の虜になった」という。 それから50年以上、ひたすら映画を愛し続け、映画を仕事にもした中村。まさに素敵すぎる人生だ。これからも熱い一人のファンとして映画を支え続けてほしい。 取材・文/渡辺麻紀