<私の恩人>森脇健児、芸能界のどん底へ…再浮上のきっかけはタモリ
今、47歳。全国の舞台から消えて17年ですわ。30歳で京都に戻って、僕はそこから新たに芸能生活がスタートしたと考えてるんです。正直、20代の時はイケイケ。「スターになるんだ!!」という思いで頭がいっぱい。でも、何もかもなくなって、すべてが変わりました。 まず、悲しいかな、自分の器っていうのが分かってくる。芸能界のど真ん中にはいけないんだと。じゃ、どこを取りにいくのか。分かりやすい言葉でいうと、“売れること”よりも“残ること”を選びました。その腹を決めてからは、誰が何と言おうと、何も思わなくなりました。 逆に、言われてることがうれしいというか。言われないのが一番つらいですから。悪口、誹謗中傷を言われるというのは、芸能人として認められている証拠。何も言われない。それも経験しましたからね。ハッキリいうて、あんな経験は二度としたくない。髪の毛も、10分の9くらい抜けましたし(笑)。 中でもね、ホンマにホンマの話、一番つらかったのは、NHKの「ひるどき日本列島」という番組を2001年から2年やった後でした。ありがたいことに視聴率もよかったし、自分的にも手ごたえがあったんです。でも、その番組が終わった時、次のオファーがなかったんです。そこがきつかった。よっぽど、僕の“傷”は深いんやなと。 それと同時に、自分の中で、東京への未練はなくなりました。覚悟、悟りですよね。こちらから東京に向かっていくのは、もういい。むこうからお願いされるようなことがあるまでは、動かない。心底、そう思えたのも、そこのタイミングでした。 昨年の秋くらいから、お話をいただいて、また東京でのお仕事もさせてもらってますけど、そのきっかけとなったのが「アウト×デラックス」だとか「ナカイの窓」(日本テレビ系)。そこでしたお話というのは、東京でダメで、京都で営業の仕事をしたり、ラジオの仕事をしたり、いろいろなことをさせてもらった中で練られた話やったんです。また、4月から大阪の朝日放送のラジオで「よなよな…」という番組をさせてもらっているんですけど、そこでもパーソナリティーとして今までのことをしゃべっています。楽しかったことも、苦しかったことも。