"神スタイル"の青井春が語るグラビアへの想い「グラビアが自分が一番自信が持てる仕事だと思うようになりました」
『週刊プレイボーイ』に登場する美女たちに記念すべき「初グラビア」の思い出を語ってもらう『初グラビア物語~My First Gravure Story~』。前回に続いてチート級ボディに人気タレント・青井春(あおい・はる)さんによる後編。 【写真】チート級ボディ青井春の水着グラビア 青井さんは6歳からモデル、女優として活躍。2017年に「はるかせ.」名義で『週刊レイボーイ』11号に初グラビアを披露すると、端正な顔立ちとB90W55H83という抜群のプロポーションがたちまち話題に。 2020年『週刊プレイボーイ』46号で「青井春」に改名後は、グラビア以外にバラエティ番組などにも登場。活動の場を広げている。今回はそんな彼女に初グラビアに至るまでのエピソードを語ってもらった。 ーー2017年2月に『週プレ』で初グラビアを披露するや注目を集め、マンガ誌などに度々登場。8ヶ月後には『ヤングマガジン』の表紙・巻頭を飾るほど人気者になりました(『ヤングマガジン』10/23日号・10月7日発売)。以降もさまざまな雑誌で活躍しますが、2019年に突如、休業します。一体、何があったんですか? 青井 精神的に辛くなっちゃって。もともとグラビアに対して、そこまで乗り気ではなかったんですよ。前回の取材で、最初の週プレさんの撮影の時、水着になることに「抵抗があった」と言いましたけど、どの現場へ行っても、その気持ちのまま。当初は3回だけやったらやめようと心に決めていました。 ーーヤンマガの表紙にもなりましたが、それでもずっとグラビアに対して乗り気ではなかった? 青井 そうなんです。当時は、どうすれば早く終わるかってことばかり考えていました。ヤンマガさんの表紙にしていただいたことも、それがいかにすごいことなのかよく分かっていなくて、どこかすっきりしないまま撮影していましたね。もちろんどの現場も入ってしまえば楽しいんですけど。 ーーいずれにせよ、辛い気持ちが高まっていったと。 青井 はい。あとSNSで一部の心ないフォロワーからセンシティブな動画や画像が送られてくるようになって。それもすごくイヤで、最後には我慢できなくなりました。前回も少しお話ししましたけど、もともと人前に出ること自体、そんな好きじゃない。前々から仕事をいつやめるかみたいなことは考えてはいたのもあり、ひとまず芸能活動をお休みすることにしました。 ーーそうだったんですね。それから約2年後、『週刊プレイボーイ』2020年46号(11月2日発売)で「青井春」に改名し、久々のグラビアを披露。芸能活動も再開します。何かきっかけがあったんですか? 青井 当時はコロナ禍で、家にひとりでいたんです。自分を見つめ直していたら、「もうちょっと可能性があったんじゃないか」って、心残りというか、やっぱり中途半端だった気がしたんです。それにそのままだときっと一生引きずっちゃう気がして。 ーー葛藤があったと。 青井 そして悩んでいるうち、好きな韓国のアイドルグループの"推し"に背中を押されたというか。彼はすごく頑張り屋さんなんですよ。で、その姿を見ていたら、「自分、なにやってんやろ。やらなあかんよな」って思うようになって。それで新たに自分で事務所を探して、ありがたいことに復帰させてもらいました。 ーーこの頃、上京もしたんですよね。 青井 そう。地元の大阪が大好きなんで、毎回通いながら仕事に来ていたんですけど、頑張らなって苦手な東京にも出てきました。その後、大阪に戻ったりとかもしていますけど(笑)。 ーーこの時のグラビアはどうだったんですか? 青井 確か千葉県のスタジオでロケしました。それまでと違ってすごくすっきりした気持ちで撮影した記憶があります。(誌面を見ながら)う~ん、この時のカットは、どれもいいんだよなぁ。特にクルマの中で撮影したカットはお気に入りです。 確か撮影前、スタイリストさんにイヤリングをお願いしたんですよ。そうしたらこのシーンで使ってくれて。すごく可愛かったし、リクエストが通ったのも嬉しかったです。あと黒の変わった衣装も好きですね。 ーー黒の変形ワンピースというか。 青井 普通の水着ではなく、変わった形が好きなんですよ。すごくおしゃれじゃないですか(笑)。