「職業差別発言」が問題視される川勝知事が理解できない「仕事は社会のため」というド正論 百田尚樹氏の主張は
しんどい仕事には意味がある
私の亡くなった父は大正13年生まれだが、家が貧しかったため、高等小学校を卒業してすぐに働きに出た。当時の仕事がどんなものだったか聞き忘れたが、好きなことなんか仕事にできなかったのは間違いない。父は働きながら夜間中学を出たが、20歳の時に徴兵で軍隊に入った。戦後、いろんな職を転々とし、30歳くらいのときに大阪市の水道局の臨時職員になった。その頃、結婚して私が生まれた。 父はやがて正職員になれたが、配属されたのは漏水課というところだ。どういう仕事かといえば、一日中、大阪市内を歩き回り、破れた水道管を直すというものだ。昔は大阪市内の道路もほとんどは舗装されていなくて、晴れた日に道が濡れていると、地中の水道管が破れているという印だった。そういう場所を見つけては、道路をツルハシとシャベルで掘り返して、水道管を修理するのだ。父は定年まで、夏の炎天下、冬の木枯らしの中で、そういう仕事をして、私たちを養ってくれた。 こんな仕事がふつうに考えて楽しいとは思えない。きっと辛かったと思う。けれど父は私たち家族の前では、一言も仕事の愚痴をこぼさなかった。別に父が格別に立派とも思わない。当時は父と同じように、しんどい仕事、苦しい仕事を黙々とやり続けた男たちがたくさんいたからだ。 日本は戦争で300万人という貴重な命を失い、東京、大阪、名古屋、北九州などの大都市は焼き払われ、多くの領土と海外資産のすべてを失った。 しかし奇跡のような復興を遂げ、わずか20年でアメリカとソ連を除くすべての戦勝国を追い抜いた。何もかもなくし、莫大な賠償金を背負わされ、何の資源も持たない国が、このような奇跡を起こせたのは、ひとえに国民がただひたすらに働いたからにほかならない。 決して丸の内に勤める金融マンや証券マンが働いたからではない。工場や工事現場で黙々と働く労働者がいたからだ。その多くの仕事が今で言うなら「3K」業種だろう。当時は外国人労働者もいなかったから、日本人自らがそういう業種で働いた。 その結果、日本は世界でも有数の豊かな国になった。 しかし、彼らは日本の復興を目標にして頑張ったわけではない。自分の生活のため、また家族を食わせるために、つらく苦しい仕事にもかかわらず、懸命に頑張ったのだ。しかし、そうした労働の総和が日本の発展を築いたのだ。