実弟・松原孝明さん「兄に追いつき、追い越せで学者になりました」…シン・大仁田厚 涙のカリスマ50年目の真実(56)
大仁田厚には「頼りがいのある弟です。学者ですから。お互い信頼関係があります」と言う18歳年下の弟がいる。 大仁田の実父・平八郎さんと離婚した母・巾江(きぬえ)さん(89)の再婚相手・松原茂二さんとの間に生まれた弟・松原孝明さん(48)は現在、大東文化大法学部・法科大学院法学研究科の教授として、民法の権威になっている。 孝明さんが3歳で物心ついた頃に大仁田は既に21歳。当時、年の離れた姉2人と東京・三鷹市の自宅で兄弟4人一緒に住んでいたが、強烈な記憶がある。 「当時、兄は全日本プロレス所属でしたが、アメリカ遠征から帰って来たら、ジャネットさんというブロンドの白人女性も兄を追いかけて日本に来たんです。僕は当時の日本では珍しい美しい外国人女性と散歩もして。結局、向こうがアメリカに帰ってしまって、それっきりだったけど、強烈な体験でした」―。 「大きな人が遊びに来たなと思ったら、ジャンボ鶴田さんだったり」という日々の中、小学3年の時にはこんなこともあった。 「いじめじゃないけど、僕がクラスの子に何か言われて泣いて家に帰ったら、兄が怒って、学校に乗り込んで。当時の兄はそこまで全国区ではなかったけど、学校中の生徒が集まってきて、サイン会になってしまいました」と回顧。 そんな大仁田は、孝明さんにとって「年も離れ過ぎていて、兄というより、もう1人の保護者という感じでした」と振り返る。 高校入学で長崎に転居したが、上智大法学部入学で上京。大仁田が99年に「41歳の高校生」となった時には“家庭教師”として勉学をサポート。参院議員時代に明大政経学部に社会人入学した後も自身の新婚の妻、友人とともに「チーム大仁田」を結成。リポートや卒論をアシストした。 「兄は学力もグングン伸ばしていった。もともとの頭の良さもあったんでしょうけど、参院議員宿舎から明大に通って、レスラー、タレント、普通の学生とこなして4年で立派に卒業した。チャレンジャーだなあと思いました」と孝明さん。 「父が兄の会社(FMW)に勤めていたので、間接的に援助を受けたことになりますし、大学院に10年通わせてもらったことを感謝していますが、兄の力は借りたことはなかったです。兄が有名なプロレスラーと言うことがプラスになるとも思っていなかったので、あえて口にすることもなかったです」と振り返るが、自身が上智大大学院を修了。学者としての一本立ちが確定した際、大仁田は歓喜したと言う。 「『おまえ、すごいな。すごいな』って、親か保護者かと思うくらいに喜んでくれました」―。 だから、大仁田の参院議員時代には議員立法の手伝いやアドバイスをした。その後、長崎県知事選や佐賀・神埼市長選に挑戦した際も自身の研究のかたわら懸命にアシストした。 「兄は長崎弁で言う『のぼせもん』。あることに夢中になって、熱くなって変える力を持つ人という意味ですが、まさに変える力、突破力を持った人間だと思います。それが国政では発揮しにくかったけど、地方自治の首長としてなら、その能力が生かされると思ったから、1回(首長を)やらせてくれればいいのにという思いで応援しました」と振り返る孝明さんは「市長選の時はネット上の空中戦で政策以外のことで誹謗(ひぼう)中傷してくる投稿には法学者として『あなたの書き込みは誹謗中傷にあたりますよ』と論理的に反論もしました。そういう人は悔し紛れのことを書いて、フェイドアウトしていくんですけどね」と続けた。 「兄とは一度もケンカしたことがないです。互いにリスペクトしていて、ライバルみたいな存在」という孝明さんは「兄のようなひとかどの人物、サムワン(特定の誰か)になりたいという思いは常に自分の心の中にありました。それを探し続けて、兄に追いつき、追い越せで学者になりました。『大仁田の弟』と言われることは悔しいことではないけど、自分も自分で確立して、いつか兄が『松原孝明の兄』と言われるようにしたいなとは思ってきました」と正直に続けた。 7度の引退、復帰を繰り返し、「ウソつき」と言われることもある兄のレスラー人生については「すごい罵詈雑言(ばりぞうごん)がありますよね。直接会ったこともない人をなんで、そこまで言えるのかと思います。『プロレス・アイコン大仁田厚』としての批判があるのはしようがないけど、兄に直接、人間として触れてもらえば、そんな思いを持つことはない。人間としての兄に会ってくれればと思ったりします」とポツリ。 66歳の今もリングに上がり続ける姿について「正直、年齢をまったく感じないです。ビジュアルとか見ていると、白髪もまったくないし、40代で止まっている感じです」と微笑む一方で「改めて66歳と思うと、いつまでできるのかなとも思うし、去年も病気(腹部大動脈瘤)をしたり、体の心配もあります。でも、プロレスと言う自己表現の場がなくなることは兄にとって社会的死を意味するとも思うので、そこは止められないなと、すごく思います」とも口にした。 今年でレスラーデビュー50周年を迎えた兄の生き様に「どの道でも50年はすごいのに、スポーツの世界で50年はとんでもないことだと思います。学者だって、20代後半から定年までできても40年ですから」と言った“18歳年下の弟”は「僕も自分の成長を伝えたい最後の人である兄をこれからもライバル視しつつ、40代の今、民法学者という、この道を極めて終わりたいなと思っています」と決意表明した。 現在、大東文化大法学研究所長という日本有数の法学者に成長した弟がリスペクトの思いとともに見つめてきた「邪道」の闘いを今、大仁田自身が振り返る。(取材・構成 中村 健吾) * * * * * * 「スポーツ報知」では、今年4月にデビュー50周年を迎える「邪道」大仁田厚のこれまでのプロレスラー人生を追いかけていきます。66歳となった今も「涙のカリスマ」として熱狂的な支持を集める一方、7度の引退、復帰を繰り返し、時には「ウソつき」とも呼ばれる男の真実はどこにあるのか。今、本人の証言とともに「大仁田厚」というパンドラの箱を開けていきます。 ※「シン・大仁田厚」連載は毎週金、土、日曜午前6時配信です。
報知新聞社