閉ざされていた道を切り拓いた81歳のフットボーラー小倉功。生涯スポーツとしての環境整備を実現「人間の身体は使い続ければ長持ちする」
帝京、南宇和、鹿実も参戦
草の根で丹念に種を撒き続けたフットボーラーがいる。 小倉功は現在81歳。東京都北区立稲付中学時代にサッカーと巡り合い、在学中に都大会を制して瞬く間にのめり込んだ。だがあまりに夢中になり過ぎている我が子の姿を危惧した父は、敢えてサッカー部のない日大鶴ケ丘高校へ進学させる。 【PHOTO】サポーターが創り出す圧巻の光景で選手を後押し!Jリーグコレオグラフィー特集! もっとも小倉のサッカー熱は、その程度では冷めなかった。気の合う仲間とサッカー部を新設し、在学中には日本大学体育会のセレクションにも合格してしまう。結局父が断ち切ろうとしたサッカーとの縁は、その後60年間以上も太く繋がっていくことになった。 小倉の現役生活に際立った勲章があるわけではない。しかし小倉ほど多様な愛好者たちに、プレー機会を創出提供してきた人物は見当たらない。閉ざされていた道を切り拓き、高齢者には過酷に映るサッカーに生涯スポーツとしての可能性を提示した小倉の周りには笑顔が絶えない。 20歳代で家業を継いだ小倉は、40歳から約20年間も東京都北区サッカー協会の理事長を務めて来た。同区内の十条には東京朝鮮中高級学校があり、1970~80年代には日本の強豪高校を凌駕する実力を誇りながら公式な交流の場がなかった。 「当時の東京朝鮮高校は、技術でもフィジカルでも日本の高校を圧倒していた。日本では野球が1番でしたが、東京朝鮮高校にはサッカーのグラウンドしかない。全校生徒が小学生から校技のサッカーに親しんでいた。だから同校の歴代の監督たちは『せっかくオレたちは強いのに高体連に加盟させてもらえない。せめて日本の高校と競える大会を創設できないだろうか』と悔しがっていたんです」 小倉は東京朝鮮高校OB会長のパク・チョンインと、当時同校サッカー部監督だったリ・ジェファ(現・国学院久我山総監督)から相談を受け、居酒屋で侃々諤々構想を積み上げる。 「東京朝鮮高校ではOB会役員もフェスティバル(大会)の開催を熱望し、すでに積極的な支援体制を整えていました。日本の高校と交流を深めることで、将来的に高体連への加盟を目ざそうと話し合いました」 その席で小倉は、参加校やレフェリー等との交渉役を一任される。招待するのは「十分な実力を持ち、各都道府県高体連の委員長か副委員長が監督を務める高校」に絞られた。 最初に足を運んだのは東京朝鮮と同地区にある帝京高校だったが、実は古沼貞雄監督からは色よい返答を得られなかった。もし東京朝鮮が高体連に加盟すれば、同じ東京都予選に組み込まれる。全国大会常連の帝京の立場も脅かされる可能性があった。 しかしそんな帝京も翻意して初回から参加。小倉の精力的な全国行脚は概ね功を奏した。後に「イギョラカップ」と命名される大会の開幕は1990年。全国高校選手権を制したばかりの南宇和の石橋智之監督も快諾だった。 「松山空港からバスで2時間かけて会いに行きました。『こんな田舎の小さな町まで、わざわざありがとうございます。良い大会になりそうですね。ぜひ行かせてください』とのことでした」 第2回には、まだ下級生の城彰二を擁する鹿児島実業も参戦し見事に優勝している。 「鹿実の松澤隆司監督は、遠征費の捻出が難しいと話していたけど、大会運営側の資金は潤沢だったので問題はなかった。城は上級生に向かっても、どんどん要求していたね」 全国から素晴らしいチームが集結するのでレフェリーも一線級を揃えたかった。 「東京都協会の長坂幸夫審判委員長が山梨県上野原市に住んでいて『夜8時過ぎに自宅へおいでよ』と言われた。ところが上野原の駅周辺は、ほとんど電灯もなく真っ暗。しかも上り坂ばかりで1時間ほど徘徊した。最後は偶然自転車で通りかかった人が場所を知っていて辿り着くことができたんだよ」 汗だく訪問の熱意は通じて、都協会はインストラクターも含めて最高級の審判団を派遣する。因みにイギョラカップで最も多くの試合で笛を吹いたのは、二度のワールドカップで主審を務めた西村雄一。「私はイギョラで鍛えられましたから」と述懐しているそうだ。 「大会期間中は東京朝鮮高校の選手たちのお母さんたちも総出で、3日間手作りの昼食を参加選手たちに無料でサービス。阪神・淡路大震災が起こった時には、滝川二高を招待し全校生徒が参加して激励会も催しました」 こうして東京朝鮮と日本の高校の交流は急速に深まり、第3回大会からはワールドカップ予選で北朝鮮戦の主審を務めた経験を持ち、当時東京都協会会長だった安田一男(故人)の尽力もあり同協会も主催に加わる。 21世紀に入るとJアカデミーや韓国からの招待チームも参加をするようになり、今では参加希望校を絞り込むのに頭を悩ます状況だという。
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