閉ざされていた道を切り拓いた81歳のフットボーラー小倉功。生涯スポーツとしての環境整備を実現「人間の身体は使い続ければ長持ちする」
老若男女が好きな時にプレーを楽しめる場を
改めて小倉が回想する。 「本来スポーツに国境はない。日本のサッカーを強くするためにも、若い世代にはどんどん新しいチャレンジをしてほしかった」 一方で小倉はイギョラカップ創設から10年後には、東京都シニアサッカー連盟の創設も主導している。若い選手たちにチャレンジの場を用意し、次は「生涯スポーツとしての環境整備」を実現したかった。 「最初は区ごとに40歳以上の選抜チームでリーグ戦を起ち上げたものの、参加をしたのは6チームだけだった」 ところがそれから四半世紀を経て、東京都では40歳以上から10歳刻みで80歳以上のリーグ戦までが整備され、250チーム、5000人以上の選手が登録をする組織にまで膨れ上がった。 さらに小倉の生涯スポーツ構想の根幹を成したのは、老若男女が好きな時にプレーを楽しめるサッカー場の建設だった。 2006年、小倉はちょうど自身の出身中学の目と鼻の先に自衛隊修理工場の跡地があることに着目。スポーツ公園法に則り助成金の条件を満たせば、北区には大きな負担をかけずにサッカー場の建設が可能なことを知る。 「それからは北区区役所の担当部署の人たちと週に2~3回は打合せを重ねて詳細を詰めていきました。もちろん本業にも支障をきたしましたが、その甲斐あって4年後に正規の大きさのピッチ1面を含む赤羽スポーツの森公園が誕生したんです」 当初から自民党の北区幹事長を務める山崎満議員(故人)の全面協力を得て、民主、公明、共産3党の議員も北区サッカー協会の顧問に迎えたので、超党派体制が整った区議会も異論なく後押し。そんな背景もあり、区役所も小倉の想像を超えて最初から前向きだった。 「区役所の担当者との顔合わせをするのに、私は9時に千葉県蘇我駅集合を指定しました。その日のうちにフクダ電子アリーナと、日産スタジアムを見学してもらい19時に解散。せいぜい3~4人程度しか来ないと思っていたら、当日13人もやって来た。この瞬間に役所の本気度が見えて『実現するな』と予感したんです」 日韓ワールドカップやJリーグで使用するスタジアムを見てもらったことで、赤羽スポーツの森サッカー場の設計図にも会議室、更衣室、レフェリールーム等が加えられ、アマチュアのトップから草の根レベルまで様々な試合が不都合なく開催されている。 ただし一方で小倉は、毎週水曜日にはこのピッチに60歳以上の愛好者を集めて練習会を催し、ボールを蹴り続けている。 「40歳で北区協会の理事長に就任した頃は、まさか80歳を超えてプレーしている自分は描けていなかった。人間の身体は使い続ければ長持ちする。だから続けることが大切。それにずっとやって来たからこそ全国に真の友人がたくさんできた。それが一番の財産だよ」 先日小倉は、練習会に集まる仲間と60歳以上の試合に出場し、堂々とトップ下でのプレーを楽しんだ。(文中敬称略) 文●加部究(スポーツライター)
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